だんだんわかった             ソンブレロ     小さなギャラリー。     女(女1)、様子をうかがうように     して現れる。 女1 こんにちは。     静寂。 女1 こんにちは。  お留守ですか?  こんにちは。     もう一人の女(女2)が現れる。 女2 聞こえてるわよ。  そんなに大きな声出さなくても。 女1 あ、すみません。  お返事がなかったから……。 女2 なに? 女1 あの、こちらが噂のアンティークガレージ「器」で間違いない  ですか? 女2 間違いないわ。  どんな噂だか知らないけどね。 女1 とっても素晴らしい作家さんがいるって聞いています。 女2 そう、それ私のことね。 女1 なんでも孤高の芸術家だそうですね? 女2 まあ、そうなのかもね。 女1 あと、ちょっとだけ偏屈なスタッフさんもいるんですってね。  ふふ。 女2 それも私のことね。  ここは私一人しかいないから。 女1 あ、いまの私の独り言です。  忘れてください。 女2 気にもしてないから大丈夫よ。 女1 あの、この辺りって細い路地ばっかりで、すっごく迷っちゃい  ました。 女2 それはご苦労さま。  でも芸術家はバス通り沿いなんかには居を構えないものよ。 女1 はあ、どうしてですか? 女2 どうしてって、芸術家ってそういうものなのよ。  わからない?  こういう感覚が。 女1 はあ、まあ、なんとなく……。  じゃあ表の看板が小さくて見づらいのも、そういう感覚からなんで  すか? 女2 もちろんよ。  大きくてわかりやすい看板なんて野暮なだけだわ。  工房っていうのは少しわかりにくいくらいでちょうどいいのよ。 女1 こちらで作品を作られているのですか? 女2 そうよ、ギャラリー兼工房。  奥に作業場があるの。 女1 へえ。 女2 でも見学は不可よ。  プロセスは見せない主義なの。  だから見ていいのはここの展示エリアのみ。  ところで、あなたはなにを求めにいらしたのかしら? 女1 じつは、来週大事なお客様がうちのレストランにお見えになる  んです。  それで、なにか芸術性の高い食器を準備したいってオーナーが言い  まして……。 女2 大事なお客? 女1 ええ、うちのお店の格付けを審査していただく大事な大事なお  客様なんです。  偶然こちらの噂を耳にしたのですぐに駆けつけて来たんです。 女2 じゃあどうぞ、ゆっくりご覧になるといいわ。 女1 ええ、では……。     女1、見回し、ふとなにかに気がつく。 女1 あの、すみません。  こちらに並んでいるのは、カップですよね? 女2 それがどうしたの? 女1 どれも底が抜けたり、穴が空いちゃったりしてますけど、これ  は……。 女2 空いちゃったんじゃなくて、空けてあるの。 女1 でもこれではコーヒーを注いだら穴からこぼれ出てしまいます  よね?  それでいいんですか? 女2 それでいいのよ。 女1 どうしてですか? 女2 自由と美の追求、とでも言えばいいのかしら。  無形である衝動を器という形を借りて表現しているだけ。  理屈なんてものはいくらでも後付け出来るわ。  だから解釈は自由にして頂戴。  それは私の伺い知れないものだから。 女1 あ、もしかしてご気分を害されましたか?  私はただ素朴な疑問として聞いただけなんですけど。 女2 まあいいわ。  そもそも穴って形而上的に存在の概念から外れているでしょ?  でもむしろその虚空の存在意義を証明するために器を作っているの。  つまり逆なの。  無駄に想像を働かせる輩たちは、観念論的な行き詰まりの通気孔な  んて言ってたけどね。  センスないわよね。  だから評論家は嫌い。 女1 はあ……。 女2 わかる? 女1 いえ、あんまり……。 女2 まあ俗人に理解してもらいたいとは思ってないけどね。 女1 あの、すみません。  私、一応お客ですよね? 女2 そうね。 女1 でも私の方が百倍くらい気を使ってますよね? 女2 そうかしらね。 女1 そういうものなんですかね? 女2 そういうものかもね。 女1 それはやっぱりあなたが芸術家だからですか? 女2 ええ、やっとわかってきた? 女1 はい、飲み込みの悪い私ですが、だんだんわかってきました。 女2 ちょっとはお利口なのね。 女1 そうか、この人がお客と思えばいいんだわ。  こっちがお客だと思わないことね。 女2 なに? 女1 いえ、独り言です。 女2 あなた独り言多いわね? 女1 すみません、ちょっとした癖で。 女2 独り言って一人の時にするものよ。  気をつけた方がいいわ。 女1 はい、この人がお客さま。  つまり神様。  いえ女王様。 女2 また独り言? 女1 あ、その、えーっと……。  こちらにあるカップはどうしてみんな逆さまになっているんですか? 女2 それは立たないからよ。 女1 なるほど、どれも尻すぼみですものね。  徹底して使えないようにしてあるんですね? 女2 水やワインが飲みたかったら蛇口や瓶に口を寄せればいいじゃ  ないの。  飲み物を仲介するカップのどこが美しい?  創作に求められるのは、表現の美だけよ。 女1 じゃあ使えるものは作らないんですか? 女2 私が芸術家である以上はね。 女1 もしかして作らないんじゃなくて、作れないんじゃないですよ  ね? 女2 それ独り言よね? 女1 はい、すみません、そのとおりです。 女2 もっと芸術のわかる人と来た方がいいんじゃない?  私も忙しいのよ。 女1 あの、そのはじっこに置いてあるのはなんですか?  バスケットの中にいろいろなカップが山積みになっていますけど。 女2 それは失敗作よ。 女1 へえ、高名な芸術家の失敗ってどんなのですか?  ちょっと見せてください。  あれ、こちらのカップの底には穴が空いていないのですね? 女2 だから失敗なの。  たまにあるのよ。  うっかりして穴を空け忘れちゃうことって。 女1 焼いてからでは穴は空けられないですものね。  でもいい色ですね。  手触りも素晴らしい。  失敗作といっても芸術性は高いものなんじゃないですか? 女2 そんなのに芸術的価値なんてないわよ。 女1 もしよろしければ、安く譲っていただけないでしょうか? 女2 捨て場に困っているだけなの。  そんなの売るなんて私のプライドが許さないわ。 女1 じゃあ代わりに捨てて来ましょうか? 女2 え、そう?  ありがとう。  でも気が引けるわね。  私の作品を求めて来た人に失敗作を捨てさせるなんて。 女1 そんな……。  むしろ光栄です。  私のような芸術にまったく無知な者がお役に立てるなんて、ありが  たき幸せです。 女2 じゃあ申し訳ないけどお願いするわ。 女1 もしまた失敗したらいつでもご連絡ください。  駆けつけますので。 女2 重ね重ね悪いわね。 女1 いえいえ、とんでもありません。  あの、これ、うちのお店の連絡先です。    女1、バッグからカードを出す。 女2 ありがとう。  でも食べには行かないわよ。 女1 ごもっともです。  あんな下町のレストランに大芸術家様が降りてくるなんてあり得ま  せん。  あれ、底に穴が空いているカップも混ざっているんですね? 女2 それはフラワーポットよ。 女1 あ、じゃあこれ植木鉢の失敗作ってことですか? 女2 ええ、ついうっかりして底に穴を空けちゃったの。 女1 つまり使えちゃうわけですね、この植木鉢は。 女2 たまにやっちゃうのよね、そういう失敗。 女1 なるほど、座りもいいし、デザインも素晴らしいけど、芸術的  価値が低いのは素人目にもわかります。 女2 そう?  だんだん目が肥えて来たじゃない? 女1 ええ、でもこれ下町のレストランの窓辺には最適かもしれませ  ん。  真っ赤なゼラニウムの引き立て役としてなら。  まあ、捨てますけど。 女2 いつか埋め合わせするわ。 女1 ありがとうございます。  でもどうかお気づかいなく。   芸術的価値観が養われただけで余りある収穫です。 女2 コーヒーでもいかがって言いたいところだけど、生憎カップが  ないの。 女1 芸術家の辛いところですね。 女2 そうなの。  あなた芸術家の気持ちがわかる人ね。 女1 はい、だんだんわかってきました。  では、私、そろそろ。 女2 帰り道わかる?  迷わないでね。 女1 ちょっと重いけどお役に立てることがなによりの励みになり  ます。  またのご連絡をお待ちしてますね。  よいしょっと。  ふふふ。  では、失礼しまーす。     女1、そそくさと去っていく。     ‐了‐