幌バスにのって                      ソンブレロ   <第一場>         何もない一面の大地。      中央にベンチ。      男が一人、傍らに荷物を置き、座っている。      やがて女、現れる。 女 こんにちは。  いえ、はじめましてね。 男 ……。 女 もしかして気がついてなかった? 男 あ、ああ……。 女 じゃあ驚かしちゃったわね。  ずっと手を振ってたのよ。  無視されてるのかと思いながら。   でもよかった。  やっと人に会えて。  一緒にここで待っていいかしら? 男 え。 女 待ってるんでしょ?  バスを。 男 そうだけど……。 女 あ、迷惑?  だったらそう言って。  もう少し先まで歩くから。 男 そんなことないけど……。 女 本当?  じゃあ座ってもいい? 男 どうぞ。 女 いつから待ってるの?(座る) 男 明るくなってすぐくらいかな。 女 バス来なかった? 男 来たら乗ってるだろうね。 女 そうね、そうよね。  私は昨日から待ってるの。  歩きながらだけど。 男 昨日から? 女 うん、昨日の夕方。  でも朝方眠っちゃったの。  一人で待つって不便よね。  安心してうたた寝も出来ないんだもの。 男 運転手が気づけばクラクションくらい鳴らしてくれるだろ  うけどね。 女 そう?  じゃあ我慢することなかったのね。  頬をつねったりして眠気と闘ったのに。  結局負けて眠っちゃったけど。 男 ……。 女 あ、ねえ。  うるさかったら言ってね。  言われないと分からないの。  人見知りなのを悟られたくなくて、それでついどんどん喋っ  ちゃうから。  だから遠慮なく止めてね。 男 ああ……。 女 でもね、以前なにかで読んだことがあるんだけど、人見知  りもひとつのチャームポイントなんですって。  先入観を抱くって感受性が豊かってことらしいし。  でも私の場合はちょっとコンプレックスなんだけど……。 男 ……。 女 あ、初対面の人に告白しちゃった。 男 本当に人見知り? 女 ええ、あと何時間掛かるかわからないのに黙っているのも  失礼かと思って。 男 何時間って? 女 バスの待ち時間よ。  沈黙って辛いでしょ?  だからちょっと無理してるの。 男 そう、それは悪かったね。  気を使わせちゃって。 女 もしかして行商の人? 男 いや、雇われの農夫だよ。  畑を探しててね。 女 どんな畑を? 男 なんでもいいんだ。 女 なんでも? 男 うん、行き当たりばったり。  どんな畑でも構わない。 女 へえ、格好いいね。  行き当りばったりなんて。 男 どこまで行くの? 女 人に会いに行くの。 男 それって遠いの? 女 ええ、恐らく。 男 恐らく……?  なにそれ?      女、肩にかけたバッグから封筒を取り出す。 女 ここまで。 男 ……。 女 どう?  遠いでしょ? 男 だろうね。  聞いたことないな。 女 バスに乗るときに聞いてみようと思ったの。  親切な運転手さんなら教えてくれるかもしれないし。 男 ああ、ただ今日中には着けないんじゃないかな。 女 そうかもしれないわね。 男 そのわりにはずいぶん身軽だね。 女 だって会って話をするだけなのよ。 男 でも遠くに行くならそれ相応の準備がいるんじゃない? 女 何を準備すればいいのかわからなかったの。  長旅なんてしたことないし。  こんなに遠くまで来たのも初めてなのよ。 男 どこから来たの? 女 だから、とっても遠くよ。  ずうっと歩いて。  ねえ、聞いて。  こんなに長い距離、自慢したくて仕方ないの。 男 どれくらい歩いたって? 女 地の果てまで来たってかんじ。  庭の外に出るなんてほとんどなかったから。  だから大冒険よ。 男 どれだけ広い庭なんだろ? 女 庭が広いんじゃなくて私の世界が狭かったの。  体も弱かったし。  でも今は平気。  嘘みたいに元気だもの。  とっても痛快だったわ。  未知の世界をどんどん突き進むのって。 男 順風満帆ってやつだね。 女 さすがにちょっと疲れちゃったけど。        上空を飛行機が通り過ぎる。 女 さっきね、誘われたの。  乗らないかって。 男 誰に? 女 飛行機乗りの人に。  突然目の前に着陸したのよ。 男 それで?  乗らないかって? 女 そうなの。  行き先を聞かれてね。 男 乗ったの? 女 乗ってたらこんなとこ歩いてないでしょ?  お断りしたの。  親切そうな人だったけど、まだそんなに疲れてなかったし、  未知の世界を突き進むのに夢中だったし。 男 うん、その方が賢明だろうね。 女 でも素敵だったわ。  飛行機なんて間近で見たの初めてだったし……。  ほんの少し後悔しちゃった。 男 バスのように途中で降りるってわけにいかないしね。 女 あら、バスだって走ってる時は降りられないでしょ? 男 国境の一つ二つ越えられるしさ。  でも、まあ、本当に親切な奴だったんだろうね。  断って済んだんだから。 女 断っても済まないなんてことあるかしら? 男 時にはね。  庭の外っていろんなことが起きるから。 女 いろんなことって? 男 思惑違いや伺い知れないこととかさ。  不意を突かれることもあるかもしれない。 女 それって危険ってこと?  狼に出会うみたいな? 男 まあね。  だから気をつけないと……。 女 私って人見知りな上に臆病で懐疑的なのよ。  いま会ったばかりの人を信用するなんて到底出来ないの。 男 懐疑的ね、へえ……。  じゃあ、もしかしてその意味でも無理してるわけ? 女 うぅん、いまは大丈夫よ。  だってアナタは狼じゃないし。  違う? 男 あ、ああ……。 女 天は二物を与えないって言うでしょ?  私ね、ほかに何も無いの。  でも人を見る目だけはあるわ。  神様って良くしたものね。 男 あ。  いつの間にか……。  さっきの飛行機だな。 女 なにが? 男 いや……。  歩いてる。  近くに降りてたんだ。 女 え。 男 こっちに向かってる。  見ない方がいいよ。 女 誰?  狼じゃないでしょ? 男 さあ。 女 どうしたらいい? 男 どうも出来ないね。 女 祈るしかない?  狼じゃありませんように……。  どうか、って。 男 そうだね。  祈るしかないな。  奴が丸腰だってことを。 女 やだ。  そんなことあるの? 男 庭じゃないからさ。  なにがあっても不思議じゃない。 女 物騒なのね。 男 ああ、でもかくれる場所もないし助けを求めようにも誰も  ……。   あ、あれ。      男(飛行士)、現れる。 飛行士 やあ。  やっぱりそうか。  久しぶり。 男 ああ。  驚いたな。 飛行士 こっちもだよ。  ヒッチハイカーかと思って降りたらキミだったとは。  元気そうだな。 男 おかげさまで。 飛行士 どうしてた?  飛行機はもうやめたのかい? 男 うん、まあ……。  間抜けな話だけど、盗まれちゃってね。 飛行士 それは災難だったな。  こちらはお連れさん? 男 いや、なんて言うか、たまたまバスを待っててさ。 飛行士 バス?  どこまで行くんだい?  それとも帰りかな? 男 畑を探しに。  つまり働き口をさ。 飛行士 そう、じゃあ、ちょっと見て行かないか?  収穫前のこの時期はなかなか壮観だからさ。  はは、もちろん畑の話だよ。 男 なにを始めたって? 飛行士 綿花だよ。  綿帽子が絨毯みたいに見えるんだ。  空からだとさ。 男 へえ……。 飛行士 農薬は撒かない。  木の葉を撒くんだ。  益虫の卵がついたね。 男 ……。 飛行士 あれからいろいろ試したけどね。  トマトもニンジンも。  やっぱりダメだった。  元どおりってわけにはいかなかった。 男 そうか……。 飛行士 乗りなよ。  行こう。 男 いや、せっかくだけど……。 飛行士 戻るわけじゃないし、見るだけでも駄目かい? 男 ああ、まあ……。  それよりこの人を乗せてあげてくれないかな? 女 え、うぅん。  私、もう少し歩くわ。 飛行士 歩く?  どこまで行くんです? 女 ずっとむこう。 男 結構遠くなんだ。  せめて途中まででも……。 女 いいの。  少し休んだし、もうちょっと歩くわ。 男 オレに気を使うことはないよ。 飛行士 うん、送っていこう。  で、どこまで?      女、バッグから封筒を出す。 女 ここ。 男 わかる? 飛行士 いや……。  方角すらわからない。  本当にむこうなの? 女 ええ、だっていつもむこうから来るもの。 飛行士 なにが? 女 郵便屋さん。 飛行士 郵便屋……? 女 私宛の手紙を持って。  その手紙をくれた人のところを訪ねたいの。 飛行士 そう、それならこの先の補給所で給油がてら聞いてみ  るよ。  じゃあ、またあとで。 男 ああ。      飛行士、去る。 女 雲が出てきたわ。 男 うん、ちょうどよく太陽が隠れたね。 女 盗まれちゃったの?  飛行機。 男 しばらく放っておいたらなくなってたんだ。 女 探したの? 男 探しようがないよ。 女 本当に災難ね。  お気の毒に。 男 まさかとは思ったけど……。  でもやっぱり間抜けだった。  その気になれば飛行機だって盗めるんだから。  かと言って一晩中見張っているわけにもいかないけどね。 女 うん、だから、気の毒って言ったのは、飛行機の方もって  ことで。  だって主人のもとから離されちゃったんだものね。 男 ああ……。 女 もしかして愛着が薄れちゃってたとか? 男 どうだろう……。  ただ、どっちみちいつかは手放さなきゃならないだろうしね。  それなら盗まれた方が諦めがつくかもしれないな。 女 へえ……。  あら。 男 え。      オイル缶を提げた男(郵便配達員)      現れる。 配達員 やあ。 女 驚いた。 配達員 こちらこそだよ。  一体どうしたの? 女 お出掛けよ。 配達員 飛行機が見えたけど……。 女 ああ、乗せてあげるって言われただけ。 配達員 じゃあどうやってここまで? 女 歩いて。  凄いでしょ?  こんな遠くまで。 配達員 凄すぎるよ。 女 もっと遠くまで行くの。  バスに乗って。 配達員 バスに?  どこまで行くつもりなの? 女 ちょっとね、お友達のお家まで。 配達員 友達……? 女 そう、私だって友達くらいいるのよ。  そんなに不思議そうな顔しなくてもいいんじゃない? 配達員 いや……。  あ、で、こちらは?  お連れさん? 女 ここで会って一緒にバスを待ってるの。 配達員 そうですか。  こんにちは。 女 郵便屋さんよ。 男 どうも……。 女 ねえ、ずいぶん重そうね。  何かの買い出し? 配達員 燃料が切れちゃってさ。  補給所まで歩いて買って来たんだ。 女 燃料って飛行機の? 配達員 まさか。  本局から払い下げられたトラクターだよ。 女 トラクター? 配達員 配達員もとうとう僕だけになったしね。  見なかった?  この先に乗り捨てられたやつを。 女 そう言えば……。  こんなに遠くから来てたのね。 配達員 ああ、それにしても燃料には不自由させられるよ。  局に一番近かったのも、その次のも閉鎖されて……。 女 もう買う人も少ないものね。 配達員 それに燃料自体が不足しているしね。  ところで、キミが訪ねようとしてる相手って、もしかして、  あのよく届く手紙の相手の……? 女 え、ええ、まあ……。 男 それならどう?  一旦戻らない? 女 どうして? 配達員 そんな軽装で行くほど近くはないだろうし。  戻ってそれなりの備えをしてから出直した方がいいんじゃな  いかな? 女 せっかく未知の世界を切り開いてきたし、このまま突き進  みたいの。 配達員 ここまで歩いてきただけでも大したものだよ。  もっと大きく前進するためには後退も必要だしね。 女 でも……。 配達員 送っていくから。  さあ。      配達員、女の手をとろうとしてやめる。 配達員 はは。  手が汚れてた。 女 ありがとう。  でも、私、もう少し……。 配達員 うん、聞くよ。  聞くからさ。  話しならいくらでも。  だから……。 女 ねえ。  この先って、畑ある? 配達員 え。  畑って、なんの? 女 なんでもいいから。  ある? 配達員 畑ね……。  いや、ないよ。  この先しばらくは。 女 そう。      上空を飛行機が通り過ぎる。 配達員 それがどうかした? 女 もしよかったら乗せて行ってもらえない? 配達員 畑へ?  キミを? 女 この人を。 男 あ、いや、どうかお構いなく。  急ぐ旅でもないし。 女 畑ならどこでもいいんでしょ?  私はどうせ戻る気ないんだし。 配達員 実はちょっと話したいことがあってね。 女 私に?  それってどんな? 配達員 その……。  手紙のことなんだけどさ。  あ、いや、戻りながら話すよ。 女 心配してくれてるのに悪いけど……。  もう少し進んでみたいの。  もう少しだけ。  そうすれば気が済むと思うから。  だから行かせて。     沈黙。 配達員 ああ、じゃあ、気をつけて。  迷ったらすぐに戻っておいでよ。 女 ええ、そうする。  あ、でも迷ったら戻れないんじゃないかしら? 配達員 これ以上進もうかどうかを迷ったらってことだよ。 女 ああ、そうね、わかった。  そうするわ。 配達員 じゃあ。 女 気をつけて。 配達員 キミも。      配達員、去る。 男 あのさ……。  なんて言うか、忠告ってわけじゃないけどさ。 女 なに? 男 うん、バスに乗る前にね。 女 あ、注意事項、みたいな? 男 乗ってからじゃ話しにくいからさ。 女 音がうるさいってこと? 男 それもあるけど、雰囲気って言うか……。  車内のね。 女 悪いの? 男 場合にもよるけど。 女 場合って? 男 客筋とかのね。 女 どんなかんじなの? 男 まあ、概して良くないよ。  それは覚悟した方がいいかと思ってさ。 女 良くないってどんな風に? 男 なんて言うか……。  男ばっかりなんだよ。  女なんてまずいないね。  いても一人じゃ乗ってないし、まして若くない。 女 それなら大丈夫じゃない?  アナタと乗るんだから。 男 男だって旅行者なんてのはいなくてさ。  越境炭鉱夫とか、漂泊者みたいなのばっかりでね。 女 賑やかなの? 男 いや、みんな押し黙ってるよ。  長旅でくたびれ果ててるんだろうけど……。  気を許せないのか、そのわりに眠らないんだ。 女 むしろ静かでいいじゃない? 男 汗臭くてね。  それと、油やらなんやら……。  いろんな臭いが混じってるんだ。 女 でも風は通るんでしょ? 男 うん、幌の隙間からね。  だから土埃が始終入る。 女 土埃なんて、歩いていても被るわ。 男 不思議なことに土埃ばかり吸い集めるんだ。  幌の隙間ってやつは。      沈黙。 女 よくないことしか言わないのね。 男 快適なことが一つも見つからないんだ。  悪いとは思うけど。 女 へえ……。  で? 男 え。 女 だから……?  やめたほうがいいって、そういうご忠告? 男 自分で決めることだろうけど……。  少なくともおすすめは出来ないってだけの話。 女 だからお家に帰りなさい、悪いことはいわないからってこ  とね。 男 いや、だから他の手段で……。  飛行機とか。  まあ、とりあえず出直すってのも手かもね。  さっきの人も言ってたけど、長旅にはそれなりの備えが必要  だろうし。 女 結局そうなるのね。  確かにあなたのように生活の糧を求める旅じゃないし、物見  遊山にしか映らないんでしょうけどね。 男 なんか悪いこと言ったかな。 女 べつに悪くはないわ。  ただつまらなくてがっかりしただけ。  あ、うぅん、ごめんなさい。  勝手に期待しちゃって。  これも甘えよね。  悪い癖だわ。        女、バッグから紙袋を出す。 女 お詫びってわけじゃないけど、これ。  よかったら……。 男 なに? 女 木苺なの。  そのまま食べられるわ。  どうぞ。 男 木苺……。  へえ、ありがとう。  作ったの? 女 ええ。  庭で。  食べて。  甘いと思うわ。 男 ああ……。      遠くから排気音。 男 あ。 女 え。      二人、音の方向を見る。      そして立ち上がる。 女 あれ……。  そう? 男 ああ。      男、荷物を担ぐ。      排気音、次第に大きくなる。      徐々に闇がせまる。      軋むブレーキの音。      やがて闇の中。      アイドリング音だけ。 <第二場>      光が差す。      全場面と同じくベンチに男と女。           女、男の肩にもたれて眠っている。      やがて女、目を覚ます。 女 あ。  ごめんなさい。  重かったでしょ? 男 ……。 女 どのくらい眠ってたのかしら? 男 どうだろ……?  実はオレも起きたばっかりなんだ。 女 そうなの?  ねえ。  アナタって恐い人なのかな? 男 なにそれ? 女 すごく怒られちゃった。  私がちょっと立ち入りすぎたのかもしれないけど。 男 怒る?  オレが? 女 夢でね。 男 なんだ。 女 驚いたわ。  人は見かけによらないものね。 男 夢だろ?  それ。 女 ええ、本当、夢で良かった。  おかげで汗ばんじゃったわ。 男 そりゃ悪かったね。  はは。      女、立ち上がる。 女 なにか言って。 男 なにかって? 女 注文。  喉が渇いたとか、お腹が空いたとか。  そういうこと。 男 それ聞いてどうするわけ? 女 なんとかするから。 男 なんとかって?  どうしちゃったの?   急に。 女 急じゃないわ。  さっきから考えてたの。  ちょっと眠っちゃったけど……。  本当よ。  なにか、アナタの役に立ちたいのよ。 男 え、あ、いや……。  さっきの、木苺だっけ?  あれ、うまかったよ、わりと。 女 それはありがとう。  でも、もっと役に立ちたいの。  ねえ、なにか注文して。  お願い。 男 お願いね……。 女 うぅん、ごめんなさい、取り消すわ。  私がお願いしたんじゃ意味ないもの。 男 下手に動いて消耗しない方がいいと思うよ。 女 ……。 男 さっきのこと、気にしてる? 女 ええ、とっても。  申し訳ないし、情けない。  一人で切り開いてきたなんて言ってたのが恥ずかしいわ。 男 気にすることないよ。  あんなに詰め込まれたら息をするのも辛いだろうしね。 女 でも無理すればアナタ一人くらい乗れたでしょ?      沈黙。 女 ねえ。  バスが少ないのは燃料が不足しているからでしょ?  じゃあそれはなぜなの? 男 小難しいことはわからないし、わかりたくもない。  ただ、小麦なんかと違って畑で作れるもんじゃないからさ。  原油ってのは。  それはそうとどうするつもり?  いくら急いでないからって。 女 さっきの運転手さんが言ってたけど、本当に今日はもう来  ないのかしら? 男 ああ、恐らくね。  下手すりゃ明日だってわからない。 女 長期戦ね。  でも木苺ならまだたくさんあるし……。 男 さっき、ちょっとうたた寝してて……。  夢なんて滅多に見ないんだけど、久しぶりに見たと思ったら、  妙な夢でさ。 女 へえ。 男 まあ、聞いたって仕方ないよな。 女 うぅん、そんなことないわ。  妙な夢って? 男 木苺をもらったんだ、アンタに。  夢の中でもね。  それで、食べたらなんだか眠くなってさ……。 女 どうなっちゃった? 男 夢の中なのにまた眠って……。  おかしなことに、夢まで見たんだ。  ややこしいけど、その夢にもアンタが出てきた。  あと、知り合いまでね。  あの、郵便配達の……。 女 そう……。  偶然だけど、私もなの。  出てきたの。  夢に、アナタとそれから、あの人。 男 あの人? 女 さっきの飛行機乗りの人よ。  アナタの身の上のこととか、これからのこととか。  とても気に掛けていたわ。  親切な人ね。  私にもいろいろと話してくれて……。  だから私も調子に乗って聞いてみたの。  そうしたらアナタが怒りだして……。 男 なんで怒ったんだろ、はは。      沈黙。 女 アネラマって知ってる? 男 え。 女 あれ、アラネマ……だっけ?  違った?  花のことよね?  夢の中で聞いたの。  あの飛行機の人に。 男 夢の中で?  はは。  知ってたんじゃないの? 女 どうしてそう思うの? 男 いや……。 女 正直言うと、その花の名前くらいは知ってたわ。  でも本当に名前だけ。  ちょっとデリケートな事情があるんでしょ? 男 まあ。 女 いっぱい植えたとかって。  どんな花なのかしら? 男 ああ、いや、なんて言うか……。  驚いたね。  どこまでが偶然なんだろ? 女 私たちがここで会ったところまでかしら……?  あ、一緒に眠ったところまでね。 男 じゃあ、そこから先は? 女 あながち偶然ってわけでもないの。  私、体が弱くて長いこと寝てたから。  そういうことにかけてはちょっとしたものなの。 男 そういうことって? 女 眠っている人の傍らで目を閉じているとね、いつの間にか  その人の夢の中に入り込めるの。  それで自分の夢と人の夢の中を行ったり来たりして。 男 それって自由自在なわけ? 女 まあ、わりとね。 男 それはずいぶんな能力だ。 女 自然とそういうことが出来るようになったみたい。  これまでの人生のほとんどをベッドルームで過ごしてきたか  らかも。  子供の頃から寝込みがちで、元気になってからは母を看てた  し。 男 で、さっきの夢の中で、花のことを聞いたって? 女 そう、素朴な疑問としてね。  アナタたちの会話の中にチラッと出てきたし。  気に障った? 男 構わないよ。  ただ、夢の中で聞いてすでに解決してたんじゃないの? 女 そうね……。  やっぱり怒られたわ。 男 いや、べつに怒っちゃいないけど……。 女 うぅん、いいの。  ただ、勝手に夢の中で知り得たことが気になったの。  フェアーじゃない気がして。      沈黙。 男 なんて言うか、ちょっと調子が狂ったって言うか……。  あの花のおかげでね。 女 アネラマのこと? 男 畑によってまるで育たなくてね。  とても土を選ぶけど一旦根がつけばみるみる増えていっ  てね。 女 その花ってどこから来たの?  種が風に乗ってとか? 男 時々訪ねて来るんだよ。  そういうのが。 女 どういうのが? 男 種や苗を持って畑を回ってるのがさ。 女 種屋さんってこと?  どんな花なの?  綺麗なんでしょ? 男 ああ、まあ、綺麗だったな。  不思議なくらい花もちが良くて……。  それでいて手間いらずだし。  しかも香りもいいから香料にも使えたり……。 女 へえ、いいことばかりね。 男 うん、まるで無駄がなかった。  野菜より実入りもいいし。  トマトやトウモロコシなんて馬鹿らしくなってね。 女 じゃあみんなアネラマを育てることにしたの? 男 うん、でも最初はそうもいかなかった。  さっきも言ったけどひどく土を選ぶんだ。 女 どんな土がお好み? 男 それがよくわからなくて……。  極端なこと言うと、隣の畑同士で分かれたんだ。  植えられたり全く駄目だったり。 女 植えられないと、どうなるの? 男 どうもならないよ。  いままでどおり。  トマトやニンジンやトウモロコシを育てるだけだよ。  数倍の労力で半分以下の収入。 女 かわいそうね。 男 誰が? 女 決まってるでしょ?  植えられなかった方の畑の人。 男 植えられても素直に喜んでばかりもいられないけどね。 女 どうして?  あ、もしかして妬まれたりとか? 男 隣同士の関係がぎこちなくなったり、周辺一帯の空気が変  わったり……。  まあ、やがてはほとんどの畑で育つようになったんだけど。  改良されるからさ。  土に合うようにね。 女 じゃあアナタのところも? 男 ああ、例にもれなくね。  でも借りものだから地主が潤うだけでさ。  出来高に応じて借り賃も上げるって言い出して……。 女 じゃあ頑張っただけ損じゃない?  随分ね。 男 種屋がまさに種を撒いたんだ。  上前をはねるなんて仕組みを作って。 女 つまり種屋さんが一番儲かったってわけ? 男 いや、種の卸屋が裏で糸を引いていたんだけど、更にその  裏もあったらしい。      上空を飛行機が通り過ぎる。 男 それで飛行機乗りになった。  中古機を買ってさ。  幌バスがまだ本当の幌バスだった頃に。 女 え。  本当の幌バス……? 男 煙を出して走ってた頃のこと。  木炭を燃やして。  見た目ほど力がなくてね。  乗客の数や風に影響されたり……。  風向きによっては客が降りて押したりね。 女 風まかせってこと?  聞いたことはあったけど、本当だったのね。  でも、そんな調子で役に立ったのかしら? 男 誰も急いでなんていなかったしさ。  まあ、昔の話だけど。 女 じゃあ飛行機なんて誰も乗らないんじゃない? 男 うん、最初はすごく暇だった。  でも不思議と段々忙しくなってきたけど。  もしかして忙しい人を増やしてるんじゃないかと思うくらい。 女 昔の幌バスってもう来ない? 男 さあ……。  でも、ありえなくはないかもね。  こう燃料が不足してくるとさ。 女 じゃあ待ってみない?  本当の幌バスを。  見てみたい。  一緒にどう? 男 ……。 女 無理にとは言わないけど。 男 構わないよ。  どうせ急いでないんだし。  どうせ行くあてもないし。 女 捨て鉢みたいね。  そんな言い方。  嫌い。  どうせ、とか言うの。 男 あれ、戻ってきた。 女 え。 男 あいつ。  ほら、向こう。  手を振ってる。 女 誰? 男 だからあいつだってば。  迎えに来たんだ。  補給できたのかな。 女 どうしたのかしら、あの上着……。 男 上着? 女 郵便屋さんのみたいじゃない? 男 ああ、なんだろ。 女 ねえ、アナタ乗ったら?  あの人の飛行機に。 男 ……。 女 綿花の畑って遠いの? 男 ……。 女 ねえ、遠いの? 男 遠くない。  飛行機ならわけない。 女 アネラマより綿花の方がよかったのかな? 男 うん、まあ……。  いいことばかりじゃなかったんだ。  あの花は。   実は、土を枯らすんだ。 女 枯れる?  じゃあ畑が駄目になっちゃうの? 男 うん、それと、決定的な欠点って言うか……。  アネラマの葉っていうのが厄介なんだ。  むしろそれは利点なんだろうけど……。 女 なに? 男 いや……。  知らなかったからね。  誰も。  まさか、そんな……。 女 葉っぱが……? 男 燃やすとガスを出すんだ。  それもかなり有毒な。 女 ガスを……? 男 種の卸屋と軍事工場がつながっててさ。  立派な兵器だった。      飛行士、現れる。 飛行士 まだバス来ない? 男 うん。  どうしたんだい、その格好。  なにかの真似かい? 飛行士 郵便配達員だよ。  アナタの知り合いの方です。 女 ああ、やっぱり、でもどうして? 飛行士 荷物が重そうだったんで、降りて声をかけたんです。  遠慮深い上に律儀な人で、お礼だってミネラルウォーターを  分けてくれました。  だからってわけじゃないけど、すぐ仲良くなって。  ポケット瓶を回したりね。 男 それでジャケット交換? 飛行士 気にしていましたよ。  アナタに伝えたいことがあるって。 女 どんなことかしら? 飛行士 今まで届けた手紙についてらしいです。  詳しくは聞いてないけど。 女 そう、悪いことしたわ。  それ無用の心配なの。  私が何も知らないと思って、あの人……。  今度会ったらこちらからちゃんと話さなきゃ。 飛行士 それが出来ないんです。 女 え。 飛行士 じつは悲しい知らせを届けに来ました。  彼はお亡くなりになりました。  急な話だけど。 女 うそ。  いつ? 飛行士 わりとさっき。 女 どうして? 飛行士 どうしてって……。  知りたいですか? 女 本当なの? 飛行士 残念ながら。 女 教えて。 男 待った。  聞かない方がいいかもしれない。 飛行士 ああ、そうかもしれないな。 女 うぅん、聞かせて。  後悔ならあとで一人でするから。  どうして?     沈黙。 飛行士 飛び降りたんです。  絶対に助からないような高さから。 女 飛行機から? 飛行士 ええ、止める暇もなくて……。 女 そんなこと……。 飛行士 後悔してます。  最初はあんなに遠慮してたのに乗せてしまったのですから。 男 酒を飲ませたこともな。 飛行士 ああ、取り返しのつかないことをした。  せめて伝えておきたくて。 女 そう……。 飛行士 どこまででも送りますよ。  よかったら……。 女 ありがとう。  でもゆっくり行きたいの。 飛行士 キミは?  一緒に撒かない?  綿花畑に……。 男 益虫のついた葉を? 飛行士 火薬を。  せめて油でも撒けたら、静かに燃やせるのに。  火薬じゃ無惨すぎる。 男 綿も駄目なのかい? 飛行士 うん、燃やすしかない。  食糧と同じで残せないからさ。 男 実はオレも焼いてきたんだ。 飛行士 え。 男 数ヘクタールのトウモロコシ畑をさ。  たとえ干からびてもトウモロコシは油になるからな。 飛行士 キミの畑かい? 男 いや、頼まれたんだ。  自分で焼くのは忍びないって。 飛行士 そう……。  なんなら飛行機貸すよ。  二人で乗ればいい。  オレはここでバスを待つから。      沈黙。 飛行士 はは。  じゃあ。 男 ああ、じゃあ……。      飛行士、去る。 男 もし次のバスが来たとしても……。 女 来たとしても? 男 同じかもしれないな。 女 また人がいっぱいってこと? 男 もっとひどいかもしれない。 女 さっきより? 男 うん、屋根の上まで人がいっぱいとかね。 女 バスが来ないから余計よね? 男 それもあるし……。  そろそろ完全撤収する頃かもしれないな。 女 なんのこと? 男 期間労働者を募ってたんだ。  仲介屋がトラックで迎えに来てさ。  まるで牛か豚を運ぶみたいに荷台に詰め込まれてね。 女 どんな仕事なの? 男 さあ。  ただ、ちょっとした額をもらえるらしかった。  だからどんな仕事かわからないのにみんな給金につられたん  じゃないかな。 女 アナタは行かなかったのね? 男 うん、仕事の内容も依頼主も明かさないっていうのが気に  入らなかった。  まあ想像はついたけど。       沈黙。 女 あの人本当に死んじゃったのかな……。 男 確かめるまでもなかったんだろうな。  あの言いっぷりだと。 女 なんだか不思議と実感が湧かないの。  悲しいはずなのに。 男 あまりに突然すぎて感覚が追い付かないんだろうね。 女 そうね。  はじめてだわ、こんなの。  アナタは?  そういうことってあった? 男 まあ、なんて言うか、今まさに。  オレもはじめてだよ。 女 え。 男 アンタほどじゃないはずだけど、ましてほんの少し話した  だけなのに……。  女 へえ。  前から友達だったみたいに? 男 ああ、さっき夢に出てきたんだ。  アンタと一緒にね。  とっても親切だった。  配達用のバッグからポットとカップを出して、コーヒーをご  馳走してくれた。 女 それはまた便利なバッグね。 男 うん、夢って便利だね。 女 そう、便利だからつい……。 男 え。 女 つい調子に乗っちゃって……。  申し訳なかったわ。  やっぱりフェアーじゃないものね。  アナタの夢の中に入り込むなんて。 男 まだ気にしてたの?  でもどうしてそんなこと……? 女 ほら、私って人見知りだって言ったでしょ?  だからこうして現実で接して、夢の中でも接してようやく落  ち着くって言うか……。 男 いや、そうじゃなくて、どうしてそんなことが出来るのか  なって。  病弱だったって言ってたけど……。 女 そう、母に看病されたり、逆にしたり……。  そういうこと長かったから。  まるで私と入れ替わるみたいに……。  長いこと私を看病してくれて疲れちゃったのね。  看病する側になってはじめて知ったわ。  何も出来ない辛さを。 男 それで……? 女 ええ、なにか出来ないかって念ずるように毎日考えて。  そうしているうちに、夢に入り込んだり、夢を操ったりね。 男 操る? 女 せめて眠っている間だけでも幸福感を味わってもらいたいっ  て思って。 男 ちょっとした魔術師だね。  呪文を唱えたり? 女 うぅん、手を握って、耳元で囁き続けるの。 男 囁くって、どんなことを? 女 いろいろよ。  決まってないわ。  心地良いんじゃないかと思えるようなことをね。  月並みでいいの。  青い空が気持ちいいとか、広い草原が素敵だとか。  あと、お花畑とかね。  そんなかんじよ。 男 手を握って、囁くだけでね……。 女 ええ、それだけ。  それと、眠る前に木苺をちょっと食べるといいの。  鎮静効果があるのよ。  誘眠作用もね。 男 へえ……。  で、良くなったの? 女 先月、看取ったの。  そのとき教えてくれたわ。  じつは手紙を書いていたのはねって……。  そうだと思ってはいたけど。 男 知ってた? 女 だって母が倒れてから一通も来なくなったんだもの。  いくら返事を書いてもね。  長旅ですって。  代筆の息子さんって人が時々手紙をくれたわ。  それが郵便屋さんってわけなんだけど。  でも失望なんてしなかったし、むしろ嬉しかったわ。 男 なるほど。  代筆ね……。      配達員、背後から現れる。 配達員 やあ。 女 え! 配達員 驚いた? 女 なんなの? 配達員 地下道を歩いてきたんだ。  えらく長くてさ。  地の果てまで続いているのかと思った。  そうしたら偶然すぐそこに出た。 女 地下道ですって?  こんなところに?  信じられないわ。 配達員 まったく、信じられないことが短時間の間に何度も起  きた。 女 どういうこと?  飛行機乗りの人と一緒だったんでしょ?  飛び降りたって聞いてたの。  助かる見込みがないって……。 配達員 ボクもてっきりダメだと思ったよ。 女 でもどうして地下道なんかに? 配達員 落ちたんだ。  干し草の山の上に。  それが蓋代わりになっててさ。 女 蓋って? 配達員 地下道の入り口って言うか、トーチカの。  だから一瞬地獄に落ちたのかと思ったよ。  やたら深くて真っ暗だしさ。 女 そんなことってあるのね。  でもとにかく無事で良かったわ。 配達員 ああ……。  まあ、どうやら無事だね。 女 どうして飛び降りたりなんか……? 配達員 さあ、よくわからない。  飛べるとでも思ったのかな。  酔ってたしさ。 女 二人でどこへ行こうとしてたの? 配達員 えーっと、どこだっけな……。  なんか見せたいものがあるって、言われて……。 女 それって綿帽子の絨毯とか? 配達員 ああ、そうだった。  それでなんだか自力で飛んでみたくなったんだね。  アルコールが入ったせいもあって気が大きくなってさ。 女 そんな……。 配達員 死にぞこなって、まず考えたのがキミのことだ。  実は話しておきたいことがあってね。      男、立ち上がり、荷物を担ぎ上げる。 配達員 ここに居てください。  どうか……。 女 もしかして手紙のことかしら?  私に届いた。 配達員 あ、ああ……。 女 それならごめんなさい。  じつは知ってるの。 配達員 え。 女 母から聞いて。  とてもお手数掛けてしまって……。  あらためて、ありがとう。 配達員 あ、いや……。  そうか、はは……。 女 申し訳なかったわ。 配達員 謝ること無いけど。 女 知らないふりをしてる方がいいと思ったの。  せっかく親切にしてくれたんだし……。 配達員 いや……。  いつも後ろめたい気持ちがあってね。 女 でも訪ねてみようと思ったのは本当よ。  架空の送り主でも良かったの。  だって他に家を出る理由が見つからなかったんだもの。 配達員 そう……。  でもこれでスッキリした。  じゃあ、戻るよ。 女 郵便物ってまだたくさんあるの? 配達員 うん、まあ、たまに。  少なくともゼロじゃないよ。 女 それってどうしても届けないといけないもの?  どれほど大事な用事なのかしら? 配達員 そんなことはわからないよ。 女 そうね、そうよね。  でも、待ってる人はいるの? 配達員 いや……。 女 誰も? 配達員 まあ、キミで最後だ。 女 そう……。  気をつけて。  いろいろありがとう。 配達員 ああ、じゃあ……。  いつか、また。  失礼します。(男へ) 男 どうも……。 配達員 実は恐くなって飛び降りたんです。  今更命を惜しむのもどうかと思うけど。  変な予感がして……。  彼が畑を燃やす代わりに突っ込むんじゃないかって……。 男 かもしれない。  でも人を巻き込んだりはしないはずです。 配達員 そうですよね。  なんでそんなことを考えたんだろ……。 男 飲んで空に上がると妙なことを考えたりするものです。  慣れないと特に。 配達員 ああ、なるほど。  では……。      配達員、去る。 女 どうしてまだ配達するのかしら?  誰もいない家に。  誰も見ないポストに。 男 さあ……。 女 仕事熱心だから? 男 それもあるけど、変えたくないんじゃないかな。  スタイルみたいなのをさ。  もしくは……。 女 住んでいた人が戻ってくるかもしれない、とか? 男 まあ、それはないだろうけど。  ところでアンタは? 女 私? 男 看病しながらでももう少し早く家を出られなかった? 女 そうね……。  でも神様って本当に良くしたものね。  聞いて。  庭の巣箱に小鳥が住み始めたの。  母が気がついてね。 男 巣箱? 女 ええ、木の高いところにかけてある古い巣箱。  私が幼い頃に父が作ってくれたの。  もうずっと空き家だったのに……。 男 お母さん、喜んだ? 女 とっても。  二人で大喜びしてね。  それだけでも残った甲斐があったって思ったわ。  で、アナタはどうして畑を探しているの?  スタイル?  それとも畑の持ち主が戻ってくるときのため?  ねえ。 男 ……。 女 ごめんなさい。  答えなくていいわ。      沈黙 男 立ち入ったこと言うようだけど……。  アンタのこと好きなんじゃないかな? 女 誰が?  もしかして郵便屋さん? 男 違うかな? 女 ……。 男 知ってるんじゃないの?  彼の気持ち。 女 でも私の方の気持ちがわからないの。  困ったものね。  自分のことなのに。  それでとりあえず歩いてみたの。  身の回りのことすべてに距離を置いてみようと思って……。        上空を飛行機が通り過ぎる。 女 今の飛行機見た? 男 うん。  どう見ても普通の飛行機じゃなかったな。 女 オリーブ色の機体だったけど……。  どっちの? 男 向こう側かな。 女 どうなっちゃうのかな? 男 さあ。  どっちみち逃げようもないし。 女 じゃあとりあえず隠れておく?  彼が言ってたトーチカに。 男 ああ。  もしくは……。 女 もしくは? 男 人事を尽くして天命を待つ、とかね。 女 人事って? 男 そう……。  悲観的にならないってことかな。 女 うん。  人事を尽くして、バスを待つ、ね。        沈黙。 男 アネラマが植えられてるんだって。  国境の川沿いに。  南風が強く吹くあたりにずっと。 女 へえ。 男 あ、もしかして夢で聞いてたかな? 女 うぅん。  知らなかった。  アナタも植えたの? 男 いや……。 女 誰だって片棒を担いでいるものよ。  何らかの形でね。  好もうと好まざると。  意識があろうとなかろうと。 男 アンタも? 女 ええ、きっとそうよ。  同じよ。 男 なんか妙だね。  少しだけ命が惜しくなったような気がする。 女 いいね、そういうの。  私も私なりに人事を尽くすわ。 男 オレになにか出来ることないかな? 女 あら、どうしちゃったの? 男 いや……。 女 じゃあ、良かったら……。  一緒に寝てもらえない? 男 え。 女 うぅん、眠らない?  もう少しだけ。  お花畑。  遠くの森。  小鳥たちのさえずり。  そんな夢。      沈黙。 男 もう一度畑を作りたいな。 女 なんの畑? 男 トウモロコシかトマトか……。 女 どっちがいい? 男 ……。 女 両方でもいいけど。 男 うん、じゃあ両方で。      女、バッグから紙袋を出す。 女 その前にちょっとバスにのらない? 男 バス? 女 ゆるやかな風に押されて。  モクモク煙をあげて。  一緒に行きましょ。  畑まで。 男 ああ……。      木苺を男に手渡す。 女 どうぞ。 男 ありがとう。 女 いただきましょう。 男 あ、うん。 女 そしておやすみなさい。 男 ああ、おやすみ。          二人、静かに食べる。                   ‐了‐