苺畑とミスターポストマン ソンブレロ      登場人物(5人)       男       女1       女2       旅人       大家         <第1場>         中央にテーブル、両脇に椅子が一脚ずつ。     片方の椅子に女1。      女1 お客様へ。  長らくご愛顧いただきましたが、このたび……。  あれ、ちょっと曲がっちゃったかな。  苦手なのよね、こういうの。       花束を抱えた男、現れる。 男 ただいま。  あれ、なに書いてるの? 女1 閉店のご挨拶よ。 男 へえ、長らくのご愛顧か……。  まあそれほど長くもなかったけどな。 女1 仕方ないのよ、決まり文句だもの。 男 どうせ書くならもう少し個性的な文句を考えたらどう? 女1 なによ、個性的な文句って、あ。   間違えちゃったじゃない。  余計なこと言うから、もう。 男 え、オレのせい?  じゃあこれで機嫌直して。  ほら。 女1 あら、なにそれ、どうしたの? 男 綺麗だろ?  花なんて買ったの何年ぶりだろ。  花瓶ないかな、あと花台も。 女1 あるわけないじゃない。  全部運び出したでしょ?  それより集金してきたんでしょ、頂戴。 男 あ、はいはい、これね。 女1 え、なに、ずいぶん少ないわね。 男 高かったんだよ、この花。 女1 冗談じゃないわよ、頼んでもないのに。 男 そう言うなって。  こんなにガランとしちゃうとなんだか侘しくてね。  慰めじゃないけど、せめて花くらいはさ。 女1 まったくもう……。 男 ちょっと借りてくるよ。 女1 借りるってなにを? 男 花瓶と花台。  花屋なら貸してくれるんじゃないかな。  じゃあ。     男、去る。 女1 やれやれ。  さてと、えーっと、ありがとうございました、と。  どうだろ。  うん、ちょっと間違っちゃったけど、いいわ、これで。     女2、現れる。 女2 こんにちは。 女1 え、あ、こんにちは。  なにか? 女2 あの、今度ここを借りようと思っている者なんですけ ど……。 女1 ああ、あなたがそうなのね。  まだご覧になってないんでしょ? 女2 ええ、もしかして大家さんの奥さんですか? 女1 うぅん、ここでお店をやっていたの。  ごらんの通り店じまいしちゃったけどね。  まあ、どうぞ。  ゆっくりご覧になって。 女2 どうもありがとう。     女2、見回わす。 女1 どちらから?  女2 隣町です。  ここで画廊をやりたいと思って……。 女1 画廊……。  そう、よかったらお茶でもいかが?  ちょうど休憩しようと思ってたところなの。  付き合ってもらえる? 女2 ええ、じゃあ遠慮なく。      女1、去る。     間もなく男、現れる。     花台に花瓶をのせている。 男 おっと、ごめんなさい。  よっこいしょっと。(置く) 女2 こんにちは。 男 ああ、こんにちは。  えーっと、なにか? 女2 私、今度ここを借りようと思っていて……。 男 ああ、じゃあ遅ればせながらの下見ってこと?  それはお疲れ様です。  オレ、ここで店をやってたんだけど、見てのとおり店じま  いしちゃった。 商品は全部ツケで売り払ってね。  アナタ、この辺の人? 女2 ええ、先月から隣町の牧場に住み込みで働いてるんで す。 男 え、じゃあここでなにをやるの? 女2 お昼まで牧場で働いて、午後からここで画廊をしたい なって。 男 それって誰と? 女2 私ひとりで。 男 そう、画廊をね。  ひとりでね……。  へえ。  いやはや……。     女1、盆に三人分のカップを運ぶ。 女1 お待たせ。  どうぞ。  かけて。 女2 ありがとう。     女1、2、座る。 女1 へえ、なかなか立派な花瓶に花台ね。 男 だろう?  ところで聞いた?  ここ画廊になるって。 女1 そうですってね。  もう長いの?   そのご商売。 女2 いいえ、はじめてです。 男 画廊だったらここより相応しい場所があるんじゃないか な?  なあ? 女1 そうね、お隣の方は訪ねてみた? 女2 ええ、何軒か。  でも、私がよそ者だとわかると、どこも……。 男 よそ者ね……。  田舎は排他的だからな。  で、ここの大家はこころよく貸すって? 女2 はい、すぐに貸してくれるって。  そう言われて嬉しくなって飛びついちゃったんです。  親切な人で助かりました。 男 じつはここの大家は昔からの友達でさ、確かに親切な奴  なんだけど、ひとつ説明が漏れていたみたいだね。 女1 具体的なこと言うとね、ここは税金が高いの。  どんな商売かによって違うんだけど、画廊は最悪なの。 男 ひどいよな。  でもそういうところなんだからさ、この国は。 女2 え、国? 男 国だよ。   国境越えてきたんだから。 女2 国境って……。 女1 川があったでしょ? 女2 ええ、橋を渡ったけど……。 男 そう、それが国境なわけ。  フリーパスだけどね。 女1 独立したの。  もう七、八年になるかしら。 男 異国で商売やるなら慎重に現地調査をした方がいいよ。  オレたちみたいに長く住んでいてもうまくいかないんだか らさ。 女2 あの、かすかに甘い香りがしたけど、もしかしてお菓 子屋さんだったんですか? 男 あ、匂う?  この人がしょっちゅうケーキやクッキーなんかを焼いてい  たからね。  ちなみに店としてはワイングラスの専門店だったんだ。 女2 ワイングラスだけを売るお店? 男 うん、しかも赤ワイン用のグラスだけ。  白ワイン用のよりちょっと大きくてふっくらしてるやつね。  この人の趣味でさ。 女1 趣味だけで商売するわけないでしょ。 男 いや、ワインのことだよ。  この人は赤ワインを好んで飲む。  オレはもっぱらよく冷やした白が好きでね。  どっちの専用グラスの店にしようかって話し合って、結局  オレが折れたんだけどね。 女2 両方のグラスを売るっていうのは? 男 ああ、でも店には特徴が必要だからね。  どちらかに特化するからこそ、その愛好家の心を引きつけ  るわけでさ。 女2 確かに専門店って聞くと、ここだけのものがありそう だわ。 男 こういう小さな店ってのは小さいなりのやり方しなくちゃ ね。  折りからの赤ワインブームにも乗って結構いい線いってた んだけどな、この商売も。 女1 赤で正解だったでしょ。 男 あのまま店が続けられたら良かったんだけど、それが突  然の増税だもんな。 女2 え。 男 国王が酒をやめたからって噂なんだよ。 女2 王様がお酒を飲まなくなったから? 女1 恐らくね。  しかも酒屋だけじゃなくてグラスを売る店にまで増税する とはね。  商売替えしてまだ二年だったのに。 男 グラス屋の前は煙草の葉っぱ売ってたんだ。  パイプに詰めて吸うタイプの葉っぱね。  この時もパイプの葉っぱ専門店にしようか葉巻の専門店に しようかって意見が別れてさ。  えーっと、あの時はどっちがパイプって主張したんだっけ。 女1 私が折れたんだわ。 男 そうだっけ?  これもブームってほどじゃないけど専門店の強みでそこそ こ売れてね。 女1 まあまあってとこだったわよね。 男 せっかく軌道に乗ったかなって時に邪魔が入るんだ。  例の増税でね。  税率五十パーセント増し。  やっていけるかっての! 女2 それも王様の? 男 煙草やめたんだって。  それから商売替えして二年だよ。  今度は酒やめたからって……。 女2 王様の思いのままなんですね。 男 国王って言っても、もとは単なる大地主だけどさ。  未だに農園やってるオッサンさ。 女1 八百ヘクタール分の土地を買ったんだって。 男 あの頃は国が傾きかかっていたからさ、ずいぶん土地を 切り売りしたんだよね。  個人で買えば国王制に出来るんだよ。  おかげで平民は振り回されっぱなし。  国王のライフスタイルで増税されちゃってさ。  ところで隣町ってどっち?  西側?  それとも東かな? 女2 ええ、東側です。 男 じゃあ共和国だね。 女1 町ぐるみで買ったのよ。  お隣は。 男 ちなみにここはラズベリー王国だよ。  例のオッサンが持ってる畑がラズベリーばっかりなんだ。 女1 そちらはブルーベリー共和国よ。  飲んだ?   ブルーベリーワイン。  お隣の唯一の国産品なの。 女2 え、ブルーベリーでワインを? 男 知らない?  体にいいしおいしいよ。  ところであのワインって色が濃いけどやっぱ赤かね? 女1 さあ、青かしら……。 男 そりゃ売れるわけだよ特徴的だもの。  こっちも以前ラズベリーワインっていうのを作ったこと  が あったんだけどね、例の増税に伴って全部ワインビ  ネガーになっちゃった。  ははは。  まあとにかく小さな王国ってのはいろいろとクセがある んだ。  家賃は世間並みでも税金は並外れてたりね。  いいよ、キャンセルするなら伝えておくよ。 女2 うぅん、でも私、やっぱりやってみるわ。 男 え、本当?   そう、わざわざ高い税金払ってまでねぇ。 女1 できればここではやってほしくなかったわ。 男 月に一度、冷酷無比な取り立て人がやってくるんだ。  あーやだ、恐い恐い。 女1 変な言い方しないで。  こっちだって気が重いんだから。  税金徴収なんてさ。 女2 え。 女1 そういう役目なの。 男 この人だからね、税金取りに来るの。  今度のお勤め、つまり税金徴収人。  オレたち税金を払いきれなくて、仕方なく店の権利を売っ  たんだけど、それでも足りなくってさ。 女1 でね、選べるの。  身のふり方をね。  国を出るか、帰属するか。 男 で、後者を選んだんだ。  国に帰属、つまり奴隷ってわけだね。 女1 嫌な言い方するわね。  国からお給料もらうだけだわ。 男 そう、すずめの涙ほどの給金は生涯不変。  まあ気楽にいこうぜって感じだね。 女1 これから頑張ろうって人の前でやめてよ。 男 それもそうだね。  あ、そうだ。  これから頑張ろうって人のためにアドバイスをひとつ。  アナタ、ハーブティーは好き? 女2 ハーブティー?  え、ええ、まあ。 男 じゃあ詳しかったりもする?  ハーブの育て方、おいしく淹れるコツとか。 女1 どういうこと? 男 例のラズベリー親父がさ、この頃ハーブティーに凝って  るって噂なんだ。  だからあの親父に気に入られるような茶葉や淹れ方を提供  してやればさ、いくらかでも税金を軽くしてもらえるかもっ  てね。 女1 そんなにうまくいくかしら? 男 自分だってうまくやってたろ?  この人さ、お菓子作りはちょっとしたものでさ。 女1 好きなだけよ。 男 そう、ケーキやクッキーを焼いたりするのが好きでさ。  それがずいぶん役に立ってきたんだよね。 女1 ついこの間まではね。 男 例のラズベリー親父のお気に入りだったんだ。  三時のおやつに届けててさ、税金のことも大目に見てもらっ  てたんだけどね。 女1 でももう限界なの。  飽きられちゃったみたいね。 男 きっとダイエットでも始めたんだよ。 女2 あ、いけない、市場が閉まっちゃう。  買い物頼まれてたんです。  ごめんなさい、突然お邪魔しちゃって……。  ご馳走様でした。 男 いや、お構いもしませんで。  画廊、うまくいくといいけどね。 女1 ちょっと待っててね。     女1、去る。 男 ところでさ、絵ってどこから仕入れたりするの? 女2 全部父の遺品です。 男 遺品?  へえ、もしかしてすごい価値があったりしてね。 女2 父が親しい人たちから預かって、そして今度は私に……。 男 託したってわけか。 女2 多くの人に見てもらいたいって父は言ってたし、それは  描いた人たちの望みでもあるでしょうし。  こんな町の風景があったってこと、人々の営みがここにあっ  たってことを残すために。 男 じゃあもうないんだ?  その町は。 女2 同じ町とは思えないほどすっかり変わってしまって……。 男 それでも誰かが住んでるの? 女2 僅かだけど。  その中には母もいます。  叔父や叔母も。 男 アナタ強いんだね。 女2 ……。 男 ああ、ごめんね、いろいろ聞いちゃって。  まあ、頑張ってよ。  親父さんたちの思いのこもった絵だもんね。     女1、小さな紙包みを持って現れる。 女1 クッキーなの。  食べてね。 女2 どうもありがとう。 男 この花、置いていこうかと思うんだけど、どう?  まだ一週間くらいはもつだろうからさ。  開店祝いってことで。 女2 綺麗ね。  いいの? 男 門出だもの、飾ってよ。 女2 じゃあ遠慮なく。  いろいろとありがとう。  さようなら。 女1 気をつけて。     女2、去る。 女1 あーあ、気が重い。 男 彼女のこと?  仕方ないよ。  どうしてもやるって言うんだから。  一介の徴収人として気楽にいけばいいんじゃない? 女1 そうなんだけどね……。  気が変わらないかなぁ。 男 お父さんの遺志を継ぐようなこと言ってたし、思いつき  じゃないみたいだね。 女1 ふうん。  続くのかしら? 男 どうだろう、難しいだろうな……。 女1 あら。     大家、女2が去った逆の方向から     現れる。 大家 こんにちは。 男 やあ。 大家 例のここを借りたいって人なんだけどさ、近いうちに訪  ねてくるかもしれないから、その時はよろしく頼むよ。 男 よろしく?  なにを頼まれればいいんだい? 大家 いや、ただ通してくれるだけでいいんだ。 男 ちなみにその人って、ここで画廊をはじめようとしている  女の人のことかい? 大家 あれ、もう来たの? 男 ああ、たったいま帰ったところさ。  税金についてなにも知らないようだったから教えておいたよ。 大家 そりゃどうも。  で、どうするって? 男 それでもやるってさ。 大家 そうか。 男 いつまで続くかなって話してたんだ。  なんならキミからも言ってやれよ。 大家 やめろってかい?  悪いけど客を選ぶほどの余裕もないんでね。 男 だからって画廊だぜ。  それに、聞いたかい? 女1 ねえ、お話中で悪いんだけど、集金どこまで終わってたっ  け? 男 えーっと、まだ一軒目だよ。  それで花買って帰ってきちゃったから。 女1 じゃああとは私が行ってくるわ。  留守をお願いね。  って、盗られるものなんてないけど。 男 あ、悪いね。 女1 また余計なものを買ってこられちゃ困るしね。                                    女1、去る。 大家 余計なものって? 男 この花のことだよ。  このままじゃあんまり殺風景だからさ。  せめて花でもと思ってね。  ところで花言葉って知ってるかな? 大家 花言葉?  さあ、知らないな。 男 知らないって一つもかい? 大家 ああ、一つくらいなら知ってただろうけど忘れたよ。 男 じゃあ教えよう。  この花は夢だろ、これは希望。  えーっと、これは明るい未来で、これは確か幸運を祈るだっ  たけな。  どうだい?  よく憶えただろう? 大家 意外に少女趣味なんだな。 男 今回はただの店仕舞いじゃないからさ。  なんだろうね。  柄にもなくセンチメンタリズムが作用したのかな……。  それにしても門出には相応しい花言葉の数々じゃない? 大家 ……。 男 お茶でも飲んでいかないか。 大家 いや、もう帰るよ。 男 そうか。  なあ。 大家 ん? 男 やっぱり彼女にここを貸すのよさないか? 大家 ……。 男 なあ。 大家 選んでる余裕ないんだってば。 男 だからっていますぐ貸さなきゃ飯が食えないってわけで  もないだろ? 大家 貸さなきゃ食えないんだ。 男 まさか。  まとまった金だって入ったろ? 大家 まとまった金?  もしかしてキミが貯めてた家賃のことかい? 男 遅れて申し訳なかったけどさ。  でもずっと悪いと思ってたよ。  だから国にすべてを売ったんだ。 大家 あれは全部入院費に消えたんだ。 男 入院費?  誰が入院したって?   オヤジさん? 大家 オヤジとオフクロ。  家で寝てたオヤジの看病疲れでオフクロも倒れてさ。  もう三ヶ月経つ。 男 そんな前か……。 大家 入院費だって待ってもらってたんだ。 男 そう、そりゃ悪かったな。  知らなかったんだ、勘弁してくれ。 大家 キミの言うこともわからなくはないんだけどね。 男 いや……。  オレの方こそ自覚が足りないかもな。 大家 え。 男 時々忘れちまうんだ。  自分が兵隊だってことをさ。     沈黙。     溶暗、そして暗転。     <第2場>     舞台の一角、壁に数点の風景画。     前場面からの花が飾られ、小規模なギャラ     リーという設定。     やや離れた位置に男、地味な制服制帽姿。     大きめの黒い鞄を肩からさげている。          女2、いくつかの絵を見比べながら配置を     思案している。     やがて納得したような表情で男に歩み寄る。     男 お、準備完了かな? 女2 ようやく。 男 あらためて開店おめでとう。 女2 ふふ、ありがとう。  よかったらどうぞ。  ご覧にならない? 男 ああ、そうだね。  あとでゆっくり。  これでも一応勤務中だからさ。  ほらね。(鞄の中を見せる) 女2 そうね、郵便屋さんだものね。 男 うん、でも配達はしないよ。  ここで一時的に郵便を預かるんだ。 女2 預かってどうするの? 男 集配が来たら渡す。  つまりポストだね。 女2 へえ、ポストマンってことね。  ミスターポストマン。 男 メッセージだけでももらえれば代筆もするよ。  ポストカードも便箋もあるしね。 女2 小包も? 男 預かるよ。 女2 へえ、便利ね。  もうすぐ母の誕生日だからなにか送ってもらおうかな。 男 あ、そりゃいいね。  ぜひ使ってよ。  なにをプレゼントするの? 女2 まだ考え中。  もう少し待ってね。 男 ああ、ゆっくり考えてよ。  オレならずうっとここにいるからさ。 女2 え、ずうっと? 男 そうだよ、一日中ここにいるんだよ。  ポストだからさ。 女2 雨が降っても? 男 集配が来るまでは動けないんだ。  雨が降ろうと風が吹こうとね。  で、どう?  初日を迎えた気分は? 女2 そうね、ようやくスタート地点に立てたって感じ。 男 なるほど。  同じ日にスタートするっていうのも不思議な縁だね。 女2 あの人も今日から?  あの人、奥さん、よね? 男 いや、はは、違うよ。  彼女は、言わばオレの身元引受人というのかな……。  オレさ、むかし悪い奴に騙されてでっかい借金作っちゃっ  てね。  彼女がそれ肩替わりしてくれて……。  頭が上がらないんだ。  店を出す資金も全部彼女持ちだったしね。 女2 ごめんなさい。  悪いこと聞いちゃったみたい。 男 いや、借金の肩替わりなんてされたら男も終いだね。  でも借りがなくなった暁には結婚申し込むっていうの  もいいかなと思ってたんだけどさ。 女2 けど? 男 いや、なかなかね。  若かったから取り返しがつくかと思ったけど……。  はは、門出の日の話題としては相応しくないね。  お、早速だ。     女1、現れる。 男 早くもミッション開始? 女1 残念だけどそうなの。  私って嫌なことを後回しに出来ない性格なのよね。 男 幸先悪いな。  客より先に徴収人が来るなんてね。 女2 この前は色々とありがとう。 女1 どういたしまして。  で、この人の言う通り早速でごめんなさいね。  えーっと……。  ねえ、ちょっと悪いけど席外してもらえないかしら。 男 あ、オレ?  なぜだい? 女1 なぜって、パーティーの会費集めてるんじゃな  いんだから。  気を利かせてよ。 男 悪いけどこっちも勤務中なんでね。  決められた場所に立ってなきゃならない公務でさ。 女1 よりによってどうしてここなの? 男 そりゃ画廊のスタートも気になったし。 女1 まったく……。  ねえ、よかったらちょっとお散歩しない?  少し先に木陰とベンチがあるの。 男 ああ、悪いね、オレがこんなところに立ち位置決め  たばっかりに。       二人、去る。     短い間ののち流れ者のような風体の男(旅人)     が静かに現れる。     リュックを背負い、手にはギターケース。     旅人、男の後を通り、絵を眺める。     男、やがて人の気配を背中に感じる。 男 おっと! 旅人 ……。(眺めている) 男 やあ。  いらっしゃい。 旅人 あ、どうも……。 男 どうも。     旅人、しばし絵を眺めている。 男 どうですか? 旅人 ……。 男 なにか……。 旅人 え? 男 いや、なにかいい絵がありそう? 旅人 ああ、ちょっと気になったので……。  あの、ここは、アナタが? 男 いや、違うけど。  まあなんて言うか、ちょっとした知り合いがね。 旅人 どこの風景なのかな……。 男 見覚えがあるとか? 旅人 いえ、そんな気がしただけかもしれません。 男 アナタ生まれはどこなの? 旅人 え、あ、いや……。 男 うん? 旅人 正確なところはわかりません。 男 わからない?   なにそれ? 旅人 あちこち移住を繰り返していたので。 男 それはどこら辺での話? 旅人 どこら辺って? 男 山の向こう側?   それともこっち側? 旅人 ……。 男 どっちよ? 旅人 山ってカシコス山脈のこと? 男 そうだよ。 旅人 向こう側です。     沈黙。 旅人 なにか? 男 オレ、これでも兵隊なんだ。  国は細かくバラバラになったけどさ、兵役としては昔の国  のまま。  あと一年のお勤めが残ってるんだ。 旅人 それで?  どうするつもり? 男 どうしようかな。 旅人 持ち物を調べますか? 男 いや、いい。  いつ来たの? 旅人 二週間前。 男 どうやって? 旅人 馬車で。 男 行商の馬車ってこと? 旅人 郵便馬車。 男 襲った? 旅人 まさか。  潜り込んだんですよ。 男 へえ。  ところでそこの絵なんだけどさ。  もうどこにもない町の風景なのかね? 旅人 そうなのかな……。  やっぱり。 男 すべて奪われて終いには焼きはらわれて……。  ないはずの風景になってたりとかね。  こっち側じゃみんな想像上の良き風景だって口を揃えるだろ  うけどさ。  恨んでるのかい? 旅人 ……。 男 でも遡れば同じようなことがこっち側でも起きてたんだ。 更に遡れば、またその逆。 旅人 ええ。 男 この際忘れるっていうのはどうだろう?  一二の三でみんなでね。  ムシが良すぎるかい?  でも一番元手のいらない連鎖の防止法じゃないかな。 旅人 ボクもそう思います。 男 じゃあなにも問題ないな。  オーケー、アンタはただの旅人だ。  道中気をつけてな。 旅人 はい。  あ、あの……。  この辺りで雇ってもらえそうなお店なんてないでしょうかね? 男 雇う?  そうだな……。  カフェがこの先にあるけど。  けやき並木が途切れたあたりにね。 旅人 この道をまっすぐですね? 男 そう、あとその更に先にも一軒ある。 旅人 ありがとうございます。  行ってみます。 男 でもどうかな、難しいかもな。  人を雇うほどは繁盛してないからさ。 旅人 そうですか。  それはどちらのお店ですか? 男 どっちもだよ。 旅人 よく行かれるんですか? 男 時々ね。  まあ駄目でもともと、行ってみな。 旅人 あの……。 男 うん? 旅人 厚かましいとは思うんですけど……。 男 もしかして紹介してくれって言いたいの? 旅人 出来ませんか? 男 見ての通り勤務中だしな。  しかも公務なんだ。 旅人 図々しいとは思いますけど今夜の宿も、いや、食事すら  ……。 男 なるほどね。  だけどオレだって公務一日目だからさ。  のっけから持ち場離れて風来坊さんの働き口案内してられな  いわけよ。 旅人 そうでしたか、ご迷惑かけました。  じゃあ。 男 幸運を祈ってるよ。     旅人、歩き出す。 男 あのさ……。 旅人 は。 男 アンタ食えりゃいいんだよな? 旅人 ええ。 男 農作業でも構わないなら紹介できるんだけど。 旅人 本当ですか。 男 この時期ってなにかしら収穫がありそうだからさ。  人手を欲しがっているかもよ。 旅人 ぜひお願いします。 旅人 ちょっと待って。     男、バッグから紙とペンを出して     サインをする。 男 さっき言ったカフェのずっと先だよ。  煉瓦作りのサイロが見えたらその辺り一帯は共同の農場だか  らさ。  誰でもいいからつかまえて、こいつに紹介されたって言って  みなよ。  飯とねぐらだけならなんとかしてくれるはずだよ。     男、旅人にメモを手渡す。 旅人 ありがとございます。  助かります。  ところで、アナタの仕事ってここでなにを……? 男 ああ、オレはポストマンだよ。  この中に集配前の手紙が入ってるんだ。 旅人 ポストマン?  そう言えばさっきからポストがなかったっけ。 男 あ、探してた? 旅人 ええ、ここで出せるんですか? 男 もちろん、預かるよ。 旅人 (懐から封筒を出す)ああ、まだ封をしていませんでし  た。 男 いや、むしろ丁度いいよ。  見せてくれる?     旅人、封筒を男に手渡す。 男 この宛先ってカシコス山脈のすぐ向こうってこと? 旅人 ええ。  駄目ですか? 男 いや。  ただ、中身をあらためさせてもらうよ。 旅人 ただの手紙ですよ。  ほかになにも入ってません。 男 ああ、わかってる。  中身ってのは内容のことさ。 旅人 え。 男 オレだって気が進まないよ。  でも規則なんだ。 旅人 わかりました、どうぞ。     男、封筒の中から手紙を取り出す。 男 ん?  こりゃ読めないや。  わざとかい? 旅人 普段使ってる言葉ですから。 男 どうするかな……。 旅人 なんなら出さなくてもいいんだけど……。 男 アンタこれ読んでくれないかな。 旅人 ボクが?  それでいいんですか? 男 大丈夫、信じてるから。  よろしく。       男、手紙を返す。 旅人 じゃあえーっと……。  オリーブハウスのみなさん、連絡が遅れました。  ボクは無事に……。  あ、あの、これ最初から全部読んだ方がいいですか? 男 ああ、そうしてくれるかな。 旅人 前略、オリーブハウスの皆さんお元気ですか。  連絡が大変遅れました。  ボクは無事カシコス山脈を越えました。  山を越えればこっちのもの。  半日で回り切れそうな細切れの国々を旅しています。  出会う人々はみんな情に厚く親切です。  いまのところ警備兵にも会ってないし、覆面兵士の職務質問  も受けていません。  やはり僕等は、巧妙に仕立て上げられた仮想の敵を憎んでい  たようです。  それはそうと仕事にはなかなかありつけません。  恥ずかしい話ですが、歩き疲れ、空腹に耐えきれず、とうと  うギターを売り払ってしまいました。  と言っても自作のギターですから二束三文でした。  遅くとも来週か再来週の山越え馬車で帰るつもりです。  ラズベリーとブルーベリーの苗や実、それと球根などをたく  さん持って帰ります。  みんなで育てましょう。  早々。  追伸、馬車の乗り心地は相当の覚悟が必要です。  特に峠付近は我慢のしどころです。  それと乗り込む際にはタバコもいいけれど、紅茶葉のほうが  好まれるみたいです。  茶葉数百グラムで話がつきました。  ご参考まで。  えーっと、あの、終わりですけど……。 男 あ、ああ、ご苦労さん。 旅人 なにか問題でも……? 男 いや、なにもないよ。  じゃあこれ送っておくよ。  ところでオリーブハウスってのは何のことよ? 旅人 ボクらの仲間とその家族が住んでる寄宿舎です。 男 へえ。  その仲間の中にはこっちから移ったのもいるのかな? 旅人 ええ。 男 どっちがいいって? 旅人 それは、なんて言うか、それぞれなんで……。 男 そりゃそうだよな。 旅人 よかったらどうですか? 男 なにが? 旅人 自分の目で確かめてみませんか?  一緒に山を越えて。 男 いいねえ。  たまには危ない橋を渡らないとボケちまいそうだもんな。 旅人 それほど危険ではないですけどね。 男 いや、ほら、兵役だからさ。  アンタと違ってバレたら厳罰が待ってるわけだよ。 旅人 ボクもバレたら重い罰が課せられます。  麦踏み一ヶ月の強制労働という。 男 へえ。  じゃあそういう覚悟で来たわけか。  で、その収穫はあったのかい? 旅人 収穫は、そう……。  こうしてアナタと話が出来たことでしょうか。 男 兵隊とって意味? 旅人 負の連鎖を断つためになすべきこと。  忘れること、って。 男 ああ。  どうやらそっちも同じようだけどさ、自分たちの立場や利益  のために悪者を仕立て上げる輩がいるのさ。  オレたちは、いつもなにかに踊らされ、搾り取られ、見張ら  れているんだ。  はは。  せいぜい楽しくいこうぜ。 旅人 ええ。  いろいろとどうも。  お世話になりました。 男 ああ、行く?  ギター預かろうか?  あ、ギター売ったんだっけ。  じゃあそのケースさ、こっちに頼んで置いてもらおうか? 旅人 でも……。 男 身軽なほうがいいんじゃないの。 旅人 そうですね。  すみませんがお願いします。 男 必ずとりに来てくれよな。 旅人 ええ。  じゃあ……。     旅人、去る。     間もなく逆の方向から女1、女2     現れる。 女1 なにそれ?  ずいぶん大きい郵便物ね。 男 これはただの預かりものだよ。  通りすがりの旅人のね。 女1 旅人? 男 ああ。  身軽な方がいいだろうと思ってさ。  で、なに、今日の業務終了? 女1 まさか。  夕方までにあと三十軒回らなきゃならないの。 男 そりゃご苦労だ。  コーヒーでもって思ったけど、それどころじゃないな。 女1 そっちだって勝手に持ち場離れられないんでしょ? 男 ああ、だから立ち飲みさ。  届けてもらえないかなって。 女1 呆れた。  そんなヒマあるわけないじゃない、もう。  あ、じゃあね。 女2 じゃあ。  お世話様でした。     女1、去る。 男 さっきさ、ここの絵を熱心に見ていた男がいたよ。 女2 その人から預かったの? 男 ああ、そう。  悪いんだけど、これ置いてやってもらえないかな。  その男仕事を探しててね、気の毒になってつい預かっちゃっ  てさ。 女2 ここで良ければ。 男 すまないね。  中身はどうせ空っぽなんだけどね。 女2 空っぽ? 男 売っ払ったんだって。  なんでケースだけ残したんだろ。  じゃあこれ、いい? 女2 ええ。 男 おっと。     止め金が外れて蓋が開く。     男、バランスを崩す。     中に詰まっていたもの(苗、木の実、     球根など)が散乱する。 男 あーあー、ははは。  空っぽにしちゃ重いと思ったよ。     二人、拾い集める。 男 そう言えば苗やら実やらを土産に持って帰るって言って  たっけ。  次あたりの山越え馬車で帰るんだって。  その前に畑で求職中だけどね。 女2 畑で? 男 うん、今夜のメシも宿もままならないらしくてさ。  ああ、これ止め金がイカレかかってるんだな。 女2 紐で縛らないと駄目ね。  山越えはとっても揺れるから。 男 乗ったことあるの?   山越え馬車。 女2 あるわ。 男 そう。  それは勇敢だ。  なかなかの乗り心地だってね。  男のオレが尻込みしてちゃ格好つかないよな。 女2 え。 男 迷ってるんだ。  乗ろうか、どうしようかって。 女2 理由、聞いていい? 男 名目は親父の墓参り。  いや、お忍びで行くんだから名目なんていらないか。 女2 お忍びって? 男 じつはオレ、ポストマンである以前に兵隊なんだ。  だから勝手に山越えなんて出来ないってわけ。 女2 お父さんって向こう側の人なの? 男 いや。  この近くに祖父ちゃんの代から借りてる土地があってさ、  苺を育ててたんだ。  でも兵役を拒んで一人で山を越えちゃった。 女2 それで、向こうで……? 男 風来坊やってた。  酒場で弾き語りをして食いつないでいたんだ。  手紙はたまに来たけど、住所不定だから返事は一度も出  せなかったな。 女2 帰って来なかったの? 男 うん、最後の手紙に墓の場所が書いてあった。  もちろん本人からじゃないよ。  峡谷のスナフキンって人からだった。 女2 誰なの? 男 さあ、ペンネームだね。  仲間がいっぱいいたみたい。  どこにでも似たような人っているもんだ。     沈黙。 男 税金、高かった? 女2 そうね。 男 スタート早々現実を見せられたんじゃない? 女2 ……。 男 来月は三倍とられるらしいよ。 女2 聞いたわ。 男 やっていけるの? 女2 わからない。 男 しつこいようだけどさ…… 女2 でもやってみる。  出来る限り。 男 なんか痛ましいんだよね。  前途ある若者が因果な役目を果たそうとしてるのを見てる  とさ。 女2 同情って寂しいわ。  応援なら嬉しいんだけど。 男 オレは忘れた方がお互いのためだと思ってたよ。  恨み合いを終いにするにはね。  でも、キミは……。 女2 風化して、いつか、なにもなかったことになれば……。  なにに学べばいいかしら? 男 そう、歴史から学ぶべきことはある。  オレの言い分も一理あるような気もするけど……。  うん、応援するよ。  って言うか、片棒担いじゃうよ。 女2 え。 男 山越えるよ。  後世に伝えるべきものは残そう。  世界一小さい国でやるんだ。  この画廊、国に預けない?  なんとか出来るかも。 女2 なんとかって? 男 戻ってくるからさ。  そうしたら、オレ独立する。  新しく国を作ってさ。  国営ギャラリーなんてどう?  キミが初代の館長だ。  それとも一人でやるかい?  もちろん無税だよ。  ははは。     沈黙。     溶暗、そして暗転。      <第3場>     大家、壁の絵を外している。     外された絵は紐で縛られている。     脇にギターケース。     最後の数枚に手が掛かる頃、男     が現れる。 男 やあ。 大家 ……。 男 やあってば。 大家 おはよう。 男 なんかあったの?  彼女、どうかしたのか?  なあ。 大家 ちょっとな……。 男 なんで片づけてるんだよ。 大家 もう少しだから……。(紐を結び終える) 男 どういうこと?   彼女、どうしたのさ? 大家 もちろん同意の上だよ。  男 どこに行っちまった? 大家 じきに戻ってくるさ。 男 だからどこに行ったんだよ? 大家 心配ない。  大事にはならない。  すぐに釈放、いや、帰されるさ。     沈黙。     作業を続ける大家。 男 その絵はどうなるんだい? 大家 ……。 男 聞いてるんだ。 大家 うん、まあ、オレもよくなかったんだ。  キミに言われた通りだったよな。  客を選べってさ。  それにしても意外に重労働だな。 男 オレに預からせてもらえないか? 大家 どういうつもりだい? 男 その絵はただの風景画ってわけじゃないみたいだしさ。 大家 ああ。 男 いろんな思いが込められているらしいから、だから……。 大家 だからこうなったんだ。 男 接収か? 大家 いや、送り返すらしい。 男 じゃあ無駄だよ。  どうせここに戻ってくるんだ。 大家 え。 男 あのさ、オレさ、独立しようと思ってるんだ。 大家 独立?  って何の? 男 独立って言ったら独立さ。  ほかに何がある? 大家 意味が分からないよ。 男 立国さ。  いま本気で考え中なんだ。 大家 兵役についてる者が独立なんて出来るもんか。  なに言うかと思えば……。     旅人、布袋を提げ、現れる。 男 よお。 旅人 こんにちは。  あれ、あの……。  ここの絵はもう……? 男 ああ、アンタが旅をするように、絵だって多くの人目に触  れるために旅に出るってわけさ。  ところで雇ってもらえたの? 旅人 ええ、ちょうど収穫の時期で手が足りなかったみたいで。 男 へえ、で、おすそ分けってこと? 旅人 はい、ずいぶんいただいちゃいました。 男 ギターケース、そこだよ。  止め金がイカレてたんで紐で縛っておいたからさ。 旅人 それはどうも。  お世話になりました。  今から帰ろうかと思って。 男 馬車って何時ごろ来るの? 旅人 九時です。 男 そりゃ間もないな。  挨拶回りしている暇もないや。  まあいいか、忍んでいくんだから。 旅人 え。 男 オレも連れてってくれない? 旅人 連れていくって、どこまでですか? 男 とりあえず山越えるまで。     大家の作業が完了する。 大家 じゃあオレは失礼するよ。 男 悪かったな、なにも手伝えずに。 大家 いや、じゃあ……。 男 あ、オレ、ちょっと出かけてくるわ。  しばらく留守にするからさ、みんなによろしく言っておい  てよ。 大家 しばらくってどれくらい? 男 そうだな、一週間くらいかな。 大家 どこに行くって? 男 聞こえなかった?   山越えの馬車で行くのさ。 大家 山越えって? 男 だからさっき言ったろ?  立国準備だよ。  もうすぐ来る郵便馬車に二人で潜り込むんだ。 旅人 ちょっと、まずいですよ。 男 大丈夫だよ、この男は。  付き合いが長いし、口も固い。 大家 なにが大丈夫だよ。  思いつきでなにしようとしてるんだ? 男 いや、これけっこう前から温めていた構想なんだ。 大家 山越えてどうするつもりだ?  下手すりゃ二度と戻れなくなるぞ。 男 大丈夫、この男がいるしさ。 大家 誰なんだ? 男 頼れる隣国の青年だよ。  生まれながらに移住生活をおくってきたタフガイ。  心配無用だよ。  キミだって翻訳の仕事を続けたいだろう? 大家 え。 男 オレもキミの訳した映画を見たいよ。  つまらない制約なんかクソくらえだ。  どこの国のどんな作品でも上映できるようにしてやる。 大家 山の向こうにどんなあてがあるんだ? 男 親父が残した財産を役立てる時が来たみたいだからさ。  帰ってきたら苺畑が出来るくらいの土地は取り戻したいね。 大家 苺畑? 男 キミは畑仕事より頭脳労働の方が向いてるんだろうけどさ。  ストロベリー共和国ってのはどう?  あ、でも王制のほうがいいかな。  一夫多妻制にしたりしてさ、はは。  なに?  そんな付き合い切れないって顔するなって。 大家 いや……。  キミがそんなふうに冗談めかして言うってことは真剣な証拠  だよな。 男 オレはいつもこんなふうだけどな、その違いがわかるなん  てさすが長い付き合いだ。 大家 幸運を祈るくらいしかできないけど……。 男 ああ、祈っててよ。  きっと伝わるからさ。 大家 見送れなくてすまんな。  出勤時間なんだ。 男 あれ、どこにお勤めだい? 大家 知り合いの養鶏場で小屋番さ。  先週からはじめたんだ。  いつか頭脳労働が出来る日を楽しみにしてるよ。  じゃあ。 男 ああ。      大家、去る。 男 さてと、オレたちもそろそろ発とうか。  で、どこから乗るの? 旅人 ここで待ちましょう。  通り道ですから。 男 ここで?  どうやって止めるの? 旅人 手をあげて合図するんです。 男 それだけで止まってくれるわけ? 旅人 ええ。  止めて、乗せて欲しいって頼むんです。 男 止めて、乗せてくれって……。  それでいいんだ?  なんか思ったほどスリルないんだな。 旅人 あと、交渉もするんですけどね。 男 ああ、紅茶の葉っぱなんかで? 旅人 ええ、一応そのつもりで用意してますけど。 男 悪いけどその葉っぱオレにも分けてくれない? 旅人 それが実はあと五十グラムくらいしか残ってないんで、  ちょっと心細いかなと……。 男 来るときはどれくらい渡したの? 旅人 二百くらいですね。 男 それちょっと上げすぎだったんじゃない?  帰るときのことも考えなきゃさ。  二人で五十って、ちょっと心細いな……。 旅人 もっとも荷物が多ければ断られるし、運まかせなんで  すけどね。     女1、現れる。 男 お。 女1 え、ちょっと、なにこれ?  彼女は? 男 まだ見えないね。  寝坊かもね。 女1 壁の絵、全部外しちゃって……。  一体どうなっちゃってるのよ? 男 よくわからないんだけどさ、もしかしたらいっぺんに買  い手がついたとかね。  はは。  それよりもしかしてその手提げの中にクッキーが入ったり  する? 女1 え、なんで? 男 持ってるの? 女1 あるわよ。  それがどうしたのよ。 男 そりゃ良かった。  いつ焼いたの、それ。 女1 今朝よ。 男 焼きたてか、それはでかしたよ。  朝からクッキー焼く余裕が素晴らしいな。 女1 新作よ。  ベリータルトのクッキー。  彼女と約束したの。  完成したら持ってくるって。 男 そりゃきっと喜ぶよ。  新作なんて。  伝えておくからさ、なにベリークッキーだっけ?  はい。 女1 ベリータルトのクッキーよ。  なんでアナタが手を出すのよ。 男 預かるだけだよ。  ほら、出勤途中なんだろ?  大丈夫、責任を持って彼女に渡すからさ。 女1 本当? 男 ああ。  楽しみだな、彼女の喜ぶ顔を見るのが。  ほら、頂戴よ。 女1 なんか怪しいわね。 男 あ、人が親切に言ってるのに。 女1 どうだか。 男 信じなってば。 女1 ……。 男 欲しかねえよ、そんな焼き菓子ごとき。 女1 出直すわ。 男 ちょっと待ってよ。 女1 なによ? 男 ごめんなさい。 女1 なにがごめんなさいよ。 男 いま揉めてる暇ないんだ。  それくれない?  お願いだから。 女1 あら、欲しかねえんでしょ? 男 いや、欲しい。  すごく欲しい。  って言うか、必要。  必要不可欠。  どうかお願いします。  (旅人へ)この人のクッキーは絶品でね。  なんたって王室御用達だから。  これ出せばすぐ話が付くかもよ。 女1 アナタが食べるんじゃないの? 男 いや、まあ、なんて言うか……。  あ、じつはこの人のためにね。 旅人 え。 男 故郷に帰るところなんだけどさ、手土産の一つでもと思っ  てさ。 女1 失礼だけど、どちらさんなの? 男 こちらはね、旅の先々で詩や曲を作り出して歌を届け回っ  ている、いわゆる吟遊詩人だよ。  人の愛、世の平和についてさっきから語り合っててさ。  なんだかすっごく意気投合しちゃって。  ね。 旅人 いや、あの、えーっと……。 男 友情の証って言ったらオーバーだけど、この国で一番お  いしいものを土産にと思ったわけ。  つまりキミのオリジナル作品をさ。 女1 あらあら、いくら急いでるからってずいぶん見え透い  た持ち上げ方するわね。 男 お世辞じゃないって。  常々もったいないと思ってたんだ。  かくれた逸品に甘んじずにもっと世に出すべきだってね。 女1 べつにもったいぶってるわけじゃないわ。  ただ私は、身近な人から、おいしいって言ってもらえるの  が嬉しいだけだから。 男 聞いたかい?  この謙虚なこと。  これだけの腕前を持ちながら、ひけらかすどころか、なん  て奥ゆかしいんだろ。  なんだか歯がゆさすら覚えるね。  なあ? 旅人 え、ええ……。 女1 はいはい、くすぐったくて参るわ。  あの、もしよかったら、これ、どうぞ。     女1、旅人に袋を差し出す。 旅人 え、いや、そんな……。 男 いいからもらっときなって。  絶対うまいから。 旅人 じゃあ、遠慮なく。(受け取る) 男 というわけで、オレ、ちょっとこの人見送ってくるから  さ。 女1 見送るってどこまで? 男 ちょっとそこまで。  だから心配しないでくれる? 女1 ちょっとそこまで行くのに心配なんかしないわよ。 男 ああ、いまの嘘。  ばっちり心配してて。  しばらく帰らないから。 女1 どっちなのよ? 男 だから心配して。  それと、もしオレの行先を誰かに聞かれても知らないって  答えておいて。  頼むよ。 女1 わけがわからない。 男 ごめん。  柄にもなくちょっと緊張してるんだ。  ほら、オレいい加減なやつだけど、一応は兵隊だからさ。  こういうことはじめてだし。 女1 なにを仕出かすつもりなの? 男 えーっと、それはね……。  どうしようか、言っちゃおうか?(旅人に) 旅人 いや、ボクに聞かれても……。 男 そうだよな。  これはオレ一人で決めて、一人で実行することだから。  むしろ黙って行こう。  キミはただ後のサプライズを楽しみにしていてくれればい  いよ。 女1 あそう。  そもそもサプライズって予告しないものだと思うけど。 男 そうだね、じゃあサプライズあらためレボリューション  かな。  ははは。 女1 なにそれ? 男 世界一ささやかなレボリューションだけどさ。  でも、オレなりに一世一代の勝負ってとこあるんだ。  前半はキミに世話になりっぱなしだったからさ、少しでも  盛り返したくってね。 女1 うん、わかった。  アナタがそんなふうに冗談めかして言うってことは真剣な  証拠よね。 男 おお、やっぱりわかる?  さすがだねぇ。 女1 それなりに長い付き合いだしね。  いいわ。  ささやかなレボリューション、楽しみにしておくから。 男 ありがとう。  ちなみにさっきのはお世辞なんかじゃない。  キミの才能を生かして欲しい。  自前の畑で作った果実でタルトでもなんでも作ってさ。 女1 ええ。  じゃあ……。  無事でね。  ばっちり心配してるわ。 男 ああ。     女1、去る。      男 クッキーは手に入ったし、ごく身近な人間には伝えられ  たし、準備は整った。 旅人 昨日ここの人に会いましたよ。 男 ここの人? 旅人 この画廊の人。 男 どこで? 旅人 道端ですれ違ったんです。 男 あれ、でも顔知らないんじゃない? 旅人 ええ、でもなんとなくわかりますよ。  それに絵を抱えていたし。 男 なんで絵を抱えてたんだ? 旅人 一番大事な絵だって言ってましたよ。  自分が生まれ育った家から見えた風景だって。 男 へえ、それで持ち帰ったのか。  なんかあれかな、悟ったのかな……。     沈黙。 旅人 聞いてもいいですか? 男 なに? 旅人 独立するんですか? 男 ああ。 旅人 そんなこと出来るんですか? 男 手続きひとつだよ。  土地を買ってさ、国の名前を登録する。  まあ土地と言ってもささやかなものだけどね。 旅人 でも自由になれるわけですよね? 男 どうだろう……。 旅人 え。 男 いまみたいに不自由でも気楽な方がいいかもしれない。  自給自足でどこまでやっていけるか……。  猫の額ほどの国土に閉じ込もって一生暮らすんだ。  どんなにチビでも一国の主ってそれなりに行動に制限があ  るからさ。  でもほかのみんなは自由だよ。 旅人 ほか? 男 さっきの男だって好きな仕事が出来る。  どこの誰が作った映画の翻訳だって制限なくやれるんだ。 なんだってそうだけど、メリットばかりじゃないしデメリッ  トばかりでもない。     沈黙。 男 アンタ、兵役は? 旅人 じつはもうすぐなんです。 男 逃げてきたわけ? 旅人 いえ、そういうわけじゃ……。 男 じゃあ従うの? 旅人 ……。 男 従わないの? 旅人 まだわかりません。 男 そっちのお務めは何年なの? 旅人 五年です。 男 へえ、同じだ。  偶然かね? 旅人 さあ……。 男 あーあ。  やっぱりやめた。 旅人 え。 男 オレさ、山を越すのやめるわ。 旅人 やめるって、じゃあ、独立は? 男 するよ。 旅人 でも……。 男 でもあの金は使わない。  独立するために土地を買えば国は少しだけど潤う。  全部外貨だからな。  あの金でこの国を潤すのはやっぱりイヤだ。 旅人 あの金って? 男 聞こえなかった?  親父が残した金さ。  でもその金、親父が作ったってわけじゃないんだよ。  誰かに託されたんだ。  よかったらその金使ってくれない? 旅人 託すって? 男 そこは気にしなくていいよ。  少なくともその金でアンタは兵役を免れることが出来るだ  ろ? 旅人 ……。 男 人ひとりの自由が買えるなら十分意味があるさ。 旅人 でも……。 男 なに?  もらった金じゃプライドが許さないかい?  若いんだから人の好意には素直に甘えなきゃ。 旅人 それで、アナタは独立出来るんですか? 男 ああ、ご心配なく。  考えてみたら失うものなんて最初からなにもないんだ。  欲しいものも惜しいものもない。  それってある意味強みなんだよね。  ははは。 旅人 ……。 男 クルクス峡谷って知ってる? 旅人 ええ。 男 ひとつだけ滝があるんだってさ。  その滝を正面から見て左側の道をまっすぐ行った突き当た  りに石碑がいくつもたってるんだって。  それぞれに絵柄や文字が刻まれているらしくてね、その中  から水瓶の絵柄が刻まれているやつを探して、その足元を  掘ってみなよ。  ちょっとした額が埋まっているらしいから。 旅人 ……。 男 まあ、アンタ次第だ、任せるよ。  座らない? 旅人 ええ。         二人、座る。        沈黙。 旅人 あの、これ食べていいですか? 男 もちろん。 旅人 ひとつどうですか? 男 ああ、もらおうかな。     女2、現れる。 男 やあ。 女2 おはよう。 旅人 どうも。 男 この男これから峠越えだって。 女2 アナタも一緒に? 男 うん、そのつもりだったんだけどね。  座らない?     女2、無言のまま座る。     旅人 クッキーです。  よかったらどうですか? 女2 ありがとう。     三人、黙々と食べる。 旅人 あ、来た。 男 来た? 旅人 聞こえる。  遠くで。        三人、立ち上がる。 男 クルクス峡谷、滝の左側、行き止まりに石碑、水瓶の絵  柄。  憶えた?  ちなみにそれ以外の石碑は墓らしいから間違って掘らない  ようにな。 旅人 届けましょうか。  掘って出たものを。 男 意味ないよ。 旅人 でも。 男 使ってくれよ。  せっかく教えたんだから。 旅人 ええ、じゃあ、報告だけでも。 男 報告?  ああ、そうだな、宛先はここのポストで頼むよ。 旅人 ポスト宛? 男 うん、ポスト留め。  もっともそれはオレの口だけど。 旅人 え。     遠くから蹄の音。     徐々に大きくなる。 旅人 じゃあ……。 男 うん。 女2 さよなら。 旅人 あの……。 男 ん? 旅人 いえ、乗りませんか?(女2に) 女2 ……。 旅人 帰りませんか、一緒に。 男 乗ってく?  それもいいよな。 女2 乗らないわ。  ありがとう。 旅人 そうですか。 男 うん、それもいいかもな。     馬車が近づく。     溶暗、そして暗転。    <第4場>     男、制服姿のまま。     女2に縄で体を縛られている。     傍らに大家。     絵はすべてもと通り掛かっている。 女2 きつすぎない? 男 大丈夫だよ。  遠慮なくやっちゃって。 大家 教えろよ。  今度はいくら借りたんだ? 男 野暮なこと聞くなって。  借金の額なんて公表するもんじゃないよ。  それよりキミ宛のプレゼント、その顔じゃまだ届いてない  みたいだな? 大家 プレゼント? 男 映写機だよ。  骨董屋に頼んだんだ。  新型ってわけにはいかなかったけど、これで好きな映画が  見れるぜ。  翻訳の勉強にも使ってくれよ。 女2 本当に痛くない? 男 大丈夫だってば。  縛られるってなんだか気持ちが引き締まるようだよ。  なあ、鞄の中の帽子を被せてくれよ。 大家 ああ。     女1、ペンキと刷毛を持って現れる。 男 やあ。 女1 今日は夕立が来るかも知れないってね。 男 そう。  でも日中は日差しが強そうだね。 女1 肥料撒くの明日にしようかしら。  天気には苦労させられそうね。 男 それがファーマーの宿命さ。  やることは山ほどあるだろうな。  土の質を改良したりとかさ。  まあ、五年後かな。  本腰入れるのは。 大家 五年掛かるのか? 男 第一級債務者は五年だってさ。 女1 まるで捕らわれの身ね。 男 ああ、利子を取られない代わりに自由もない。  オレが初めてらしいよ。  二十四時間完全拘束の公務従事って返済方法を選んだの。 大家 一人で被るのは解せないな。 女1 そうよ、なにもこんな……。 男 まあこれで曲がりなりにもスタート地点には立てたんだ。  さあ、もういいからやっちゃってくれ。  ほら。     女1、ペンキの蓋を開け、刷毛を漬ける。 男 曾祖父ちゃんは教育者で祖父ちゃんは農夫だろ、それで  親父が思想家で、オレは順番から言うと……。  やっぱ、ファーマーかな。  はは、まあ、気楽に行くさ。  たかが五年だぜ。  五年なんてあっと言う間だよ。 女1 いくわよ。 男 ああ。     女1、男の足元からペンキを塗っていく。     靴、裾が朱色に染まる。 男 一生届かないものを追い続けた奴はたくさんいたんだ。  五年なんてわけない。  それに借金の清算が終わっても大して変わらないよ。  全然自由のないオッサンとちょっと自由なオッサンの違  いしかない。     膝から腰にペンキが塗られていく。 男 いよいよこれで正真正銘のポストだ。  もうポストマンじゃない。     胸、肩が塗られ、首もとに刷毛が辿り着く。 男 しばらくは土と肥料のことだけ考えるさ。  もう少し待っててくれ。     男と女1、しばし見つめ合う。         ‐了‐