窓辺の席からずっと               ソンブレロ          女2、立っている。      やがて女1、現れる。      周囲を見回す。      女2、ややためらった後、女1      に近づく。 女2 あの……。 女1 はい? 女2 余計なことかもしれないけど……。  どなたかと待ち合わせよね? 女1 え、ええ……。 女2 もしかして、そのお相手って背が高くて痩せている女性じゃ ない?  栗色の長い髪の……。 女1 そうだけど……。 女2 じゃあ間違いないと思うけど、諦めて帰られたわ。 ついさっきまでお待ちだったけど。 女1 ついさっき? そう、なんて間が悪い日なのかしら……。  あ、ところで、どちら様? 女2 私もこのブロンズ像の前で人を待っていたの。  こんなことならどこかお店の中で待ち合わせればよかったって  思ってたところで偶然目があってね。  同じことを考えていたみたいでお互い苦笑い。 女1 なるほどね。  木陰もベンチもないところでずっと待っていたんだものね。  せめてあそこにあるカフェが開いていてくれたら窓辺の席から  でも目が届いたでしょうに。 女2 あら、遅れることが前提なの? 女1 うぅん、こんなに遅れたのははじめてよ。  あーあ、がっかり。 女2 なにか災難がふりかかったとか? 女1 時計が遅れちゃってたの。  肝心な時に限って、まったく……。  それで慌てて家を出たんだけど、今度はお腹の方がちょっとね。  整腸剤があるはずだから戻ろうと思ったけど……。 女2 我慢しちゃった? 女1 途中の薬局に寄ることにしたの。  でも生憎お休み。 女2 で、家に戻ったと? 女1 と思ったんだけど、沈静化したみたいだからそのままバス  停に向かったの。  そうしたら着いた途端に深刻化しちゃって。 女2 で、結局戻ったと? 女1 ええ、おまけに見つけるのに手間取っちゃって。  あるはずの場所になくて、ないはずの場所で見つかったわ。 女2 なるほど、大変だったのね。  ただ、約束がある時は、もう少し時間に神経を使った方がよかっ  たかもしれないわね。 女1 今日に限って壁掛け時計まで仲良く遅れちゃっててね。  それで気が付くのも遅れちゃったの。 女2 お腹の調子が急変したのは仕方のないことよ。  誰だってありそうなことだわ。  でも薬箱の中が整理されていれば、見つけるのに手間取らなかっ  たんじゃないかしら? 女1 薬箱って滅多に使わないものばっかり入っているのよね。  出番の多いものに限ってバッグや引き出しに入っちゃってて……。  でもそういうことってあるでしょ? 女2 じゃあ薬局よ。  近所の薬局の定休日を頭に入れておけば、無駄な動作は省けた  じゃない? 女1 臨時休業だったの。  重なる時には重なるものよね。 女2 じゃあ……。 女1 どうしても私の落ち度を追及したいみたいね。 女2 だって少しも反省の色がうかがえないんだもの。 女1 あなたを待たせたわけじゃないからよ。 女2 だからあなたを待っていた人の代わりに責めてるの。 女1 やっぱり怒ってた? 女2 ううん。  むしろ逆。  何事もなければいいけどって、あなたのことを心配していたわ。  いい人よね。 女1 そう。  彼女が優しいからってそもそも甘えがあったのね。  反省しなきゃ。  そして待ち人を代表してのご忠告ありがとう。  これからはもっと時間に几帳面になるよう努めるし、薬箱の整  備を常日頃から万全にしておくよう心掛けるわ。 女2 よろしくね。 女1 ところであなたもずいぶんお待ちなの? 女2 私もそろそろ潮時かなって思っていたところよ。 女1 ねえ、よかったら私に伝言を預けてもらえない?  待たせた側として、懺悔ってわけでもないけど、少しはお役に  立ちたいの。 女2 罪ほろぼしなら相手が違うんじゃない? 女1 彼女にはしばらく会えないわ。  ツアーガイドをしているの。  長旅の前のおしゃべりは恒例だったんだけどね。  だから預かるわ。  なんでも言って。 女2 気持ちは嬉しいけど……。  でも来ないでしょうね。  約束の時間をとっくに過ぎているんだもの。 女1 じゃあどうして待っているの? 女2 もう待っていないわ。 女1 どういうこと? 女2 待っていたのは最初の三十分。  そのあとはただここに居るだけ。 女1 どう違うの? 女2 決め事みたいなものよ。  暗黙のね。  待ち時間はどんなに待っても三十分までって。  お互いのためにね。 女1 どっちにしても来て欲しいことには変わらないと思うけど。  ふふふふ。  恋人?  あなたの待ち人って。 女2 うぅん、友達。  女流デザイナー。  とっても忙しいの。  しかも今日は彼女の独立記念日でね、きっと忘れているだろう  から祝ってあげたかったの。 女1 友情っていいわね。  何時間でも待てる友達がいる。  なんだか嫉妬しちゃう。 女2 あら、それは逆じゃない?  待ってもらった人が嫉妬だなんて……。 女1 だって、長く待てるってそれだけ思いのある友達を持って  るってことだもの。  とても心豊かなことだと思うわ。 女2 待つことが待たせている人への思いの表れなら、思っても  らう方がもっと心豊かなんじゃない?  そんな気がする。 女1 どう言っても今日のところは分が悪そうね。 女2 あ、ほら、見て。  あの時計塔。 女1 え、時計塔? 女2 そう、五時ちょうど。 女1 それがどうかした? 女2 私の時計も同じ時間。  ようやくね。 女1 ようやくって? 女2 だってさっきまで止まっていたんだもの。 女1 あなたの時計が? 女2 うぅん、大時計の方よ。  いつの間にか動いていたわ。 女1 故障していたのかしら? 女2 もしくはうっかりねじまきを忘れちゃったのかもね。 女1 大時計のねじまきってとっても大きくて重いんでしょ? 女2 そう、巨大なドーナツみたいなのを回すらしいわ。  もしかしたら巻き過ぎると進んじゃったりするのかしら?  私の時計みたいに。 女1 私はよく巻き忘れるから遅れたり止まっちゃったりするの。  それで時々遅刻しちゃうのよね。  あ、そうか、それじゃない?  あなたの待ち人さん、とっても忙しい人なんでしょ?  だから時計のねじまきを忘れちゃうの。  めったにないことかもしれないけど、そういうことほど肝心な ときに起こるものよ。 女2 じつはね、そんなこともあるかなって思いながらここに居 たの。  彼女の時計が遅れて、私の時計が進んでいる。  なんて……。 女1 そんな望みを捨てさせないために大時計が止まってくれた のかも。 女2 そう言えば5時の鐘が鳴らなかったわ。 女1 本当ね。  慌ててねじまきをしたから、それどころじゃなかったのかしら? 女2 手間をかけなくても止まったり進んだりしない時計があっ たら快適でしょうね。 女1 そうね……。  でも本当にそうかしら? 女2 え。 女1 想像してみて。  一刻の狂いもない時間管理の中で生きていくことを。 女2 一刻の狂いがない……?  えーっと……。  定刻にお店が開く。  定刻にバスが到着する。  定刻に映画が始まる。 女1 うん、便利なことばっかり。  ムダがないし余計な心配もいらない。  でもきっと長い時間待つことはないでしょうね?  もしやっていう期待も出来ないし、ましてされもしない。  待たせた側の私が言うのもなんだけどね。 女2 そうね。  駆けつけてくれたりもしないかも。  快適って何かと引き換えなのかしら?  少なくとも私たちの出会いはなかったわね。      時を告げる鐘が鳴る。      二人、一瞬驚き、顔を見合わせ微笑む。      しばし鐘の音を聞いている。 女1 あ、ほら、あそこのカフェが開いたわ。 女2 おかしいわね、こんな時間に……。  これも大時計が止まっていた影響? 女1 ねえ、場所変えない?  窓辺の席からとか。  私でよければつき合うわ。 女2 そうね、ちょっと疲れたしね。  あ、じゃあ、どう?  乾杯なんて。 女1 いいわね。  でも何で乾杯? 女2 そうね……。  私たちの出会いに、でいいんじゃない? 女1 うぅん、コーヒー?  それともシャンパンか何か? 女2 あ、そっちね。  それは、まあ、アルコール系で……。  あ、お腹大丈夫? 女1 うん、シャンパン飲めば完全に治ると思う。  行こう。  窓辺の席で待とう。  待つ人代表と待たせた人代表との和解会談も兼ねてね。 女2 それに時計進み派と時計遅れ派の世紀の饗宴も同時開催よ。  ということで進み派の私が先導しましょう。  一、二、一、二と……。        女2、号令とともに去る。 女1 では、遅れ派、続いて参りましょう。  一と、二と、一と、二と……。        女1、ややテンポの遅い      号令とともについて行く。               ‐了‐