おまかせカフェでまかされて               ソンブレロ     カフェの店内。     女(女1)、様子をうかがうようにして     現れる。 女1 こんにちは。  こんにちは。  誰かいませんか?  こんにちは。  誰か……。     もう一人の女(女2)、現れる。 女2 あ、いらっしゃい。  おまかせカフェにようこそ。 女1 え。  おまかせ……? 女2 カフェ。  よろしくね。 女1 ここカフェだったのね。 女2 どうぞ、掛けて。       女1、座る。 女1 看板がないから前から気になっていたの。 女2 なんのお店だと思ったの? 女1 わからないわ。  だから入ってみたのよ。  ちょっと勇気を出してね。 女2 そう、それは勇敢ね。  ところでカフェでよかった?  それとも期待外れだったかしら? 女1 そんなこともないけど、でももうちょっと違うものかと思ったわ。 女2 違うって、たとえばどんなふうに? 女1 もっとなんて言うか、ふつうっぽくないって言うか……。 女2 ふつうっぽくない?  そういうのを期待していたのね? 女1 期待って言うより、想像していたの。  ねえ、メニューはないの? 女2 ここはセルフサービスなの。 女1 でもメニューくらいあるでしょ? 女2 うぅん、ないの。  だから自分で考えて。 女1 考える? 女2 そう、考えて、そして決めて。  なにが飲みたい? 女1 じゃあ……。  コーヒーを。  ブレンドでいいわ。 女2 はい。  ブレンドと……。  コーヒー豆の挽き方のお好みは?  粗い方がいい?  それとも細かい方かしら? 女1 へえ、意外と気が利くのね。  じゃあ、えーっと……。  中くらいで。 女2 中くらい、と。  ご注文は以上でいい? 女1 そうね……。  シフォンケーキなんてある? 女2 了解。  すぐ用意するわ。     女2、傍らにあったコーヒーミルを     テーブルの上に置く。 女2 ではブレンド豆をさらさらさらーっと入れまして……。  はい、これよろしくね。 女1 え。 女2 ブレンドコーヒーでしょ?  どうぞ。 女1 どうぞって……。  なにこれ? 女2 コーヒーミルよ。  見たことない? 女1 自分で挽くの? 女2 セルフだって言ったでしょ。  ここはおまかせカフェなんだから。 女1 おまかせってそういうことだったのね。 女2 挽き方は中くらいで。  じゃあお願いね。  いまシフォンケーキの方も用意するから。 女1 ああ、よろしく。     女2、去る。 女1 え、あ、ちょっと待って。  用意って、もしかして小麦粉や卵を持ってくるんじゃないでしょうね? 女2 ええ、卵白とグラニュー糖をボウルに入れてね。  あと、もちろん泡だて器もちゃんと……。 女1 中止。  シフォンケーキ中止。  キャンセル。 女2 あら、どうかした? 女1 おまかせにもほどがあるんじゃない?  私、そんなに時間ないの。 女2 じゃあせめておいしいコーヒーだけでもどうぞ。  さあ。 女1 わかった。  挽くわ。     女1、豆を挽く。 女2 あ、ねえ、それじゃあ雑よ。  早すぎるわ。  もっと優しく。 女1 このくらい? 女2 もうちょっと静かに心を落ち着かせて挽いてみて。 女1 こうかしら? 女2 そう、その調子よ。  そうやって丁寧に挽けばきっと美味しいコーヒーが飲めるわ。  あ、ねえ、もう少し肩の力を抜いた方が疲れないわよ。  そして肘と手首を柔らかく使って。  そう、ゆっくりと滑らかにね。 女1 ねえ、そろそろいいかしら? 女2 悪いけどもうちょっとがんばってくれない?  ちょうど3時だし、私も飲みたくなっちゃったの。 女1 あなたの分まで? 女2 ええ、ブレンドを同じく中くらいで、よろしくね。     女2、コーヒー豆を追加する。 女2 いいじゃない。  ものはついでだしね。 女1 私、お客よね?  こんなお店ってあるかしら。 女2 あなただってふつうっぽくないことを期待していたじゃない? 女1 想像していただけよ。 女2 でも、あなたっていい人ね。  なんだかんだ言っても挽き続けてくれているもの。  って言うか、むしろさっきより丁寧に挽いてくれているし。 女1 それは、まあ、コツがつかめたって言うか……。 女2 うぅん、わかるわ。  あなたってとっても親切な人なのよ。 女1 はじめて言われたかも。 女2 それはあなたの良さが正当に評価されていないからよ。  私ね、これでも人を見る目は確かよ。  だって今までたくさんの人にコーヒー豆を挽いてもらってきたんだ  もの。 女1 挽き方でなにがわかるの? 女2 心の豊かさとか、繊細さとかね。  そろそろいいんじゃない?  見せて。     女1、ミルを差し出す。 女2 ほら、こんなにいい香りがするわ。 女1 それは豆がいいからよ。 女2 見て、こんなにちょうどよく中くらいに挽かれているわ。 女1 それはミルの具合がいいからよ。 女2 謙遜してるけど、うぅん、自分でも気がついていないかもしれ  ないけど、あなたは人知れず人のために尽くす人なのよ。  私が保証するわ。 女1 ありがとう。  それにしてもコーヒーを挽いたのって何年ぶりかしら。  いろいろ面くらったけど、いい気分転換になったわ。  じゃあ、私、これで。 女2 え。 女1 仕事があるの。  ちょっと不思議な体験が出来て楽しかったわ。 女2 せめて一口だけでも味わってみない?  それにこの豆、悪くないものよ。 女1 せっかくだけど、またにするわ。 女2 仕事を抜けてきたの? 女1 うぅん、これからなの。  慣れないことってするものじゃないわね。  たまに休みをもらっても仕事のことが気になって出て来ちゃった。  今度はもう少しゆっくり出来る時に来るわ。 女2 とても忙しい仕事なのね? 女1 この先の郵便局よ。  書留や小包の受付係なの。 女2 あら、そう言えば荷物を局留めにしたままだったわ。 女1 じゃあ出来るだけ早く引き取りに来てね。  局留めの荷物って毎日増えているから、もう山積みになっているのよ。 女2 それは申し訳なかったわ。  近いうちに必ず伺うわ。 女1 お願いね。  じゃあ。 女2 ねえ、ご迷惑かけておいてこんなこと言うのもどうかと思うけど、  休みをもらった日くらいゆっくり心と体を休めたらいかがかしら? 女1 そうね、私だってそうしたいわ。  でも駄目、どうしても気になっちゃうのよ。 女2 それはあなたの努力が足りないからよ。  もっと休むことに集中しなきゃ。 女1 だけどこうしているうちにも受付待ちの荷物や局留めの荷物が溢  れているかもしれないわ。 女2 もっと周りを信じて任せるの。  自分がいないとどうにもならないって考えは、自分を過信している証  拠よ。 女1 え。 女2 あ、ごめんなさい、私ったらつい他人事じゃなくなっちゃって  ……。  今のは以前の私自身に言ったことなの。  気を悪くしないでね。 女1 以前の? 女2 ええ、レストランのマネージャーをしていた頃の。  いつも過剰に目を配って、どうしてもっと周りを信じられなかった  のかって後になって思ったわ。 女1 それでカフェをはじめたの? 女2 ええ、でも今もけっこう忙しいのよ。  ハーブは自家栽培なんだけど紅茶もいま挑戦中なの。  そしていずれはコーヒーも自分で育ててみたいわ。  つまり本業はそっちの方なの。 女1 だからお店の方はおまかせってわけね。 女2 そう、あなたみたいな忙しい人たちを解放するためにね。 女1 解放ですって? 女2 ねえ、試しにこのお店をまかされてみない? 女1 無理よ。  そんな余裕ないし、カフェの仕事なんてなにも知らないんだから。 女2 大丈夫。  全部おまかせのカフェなんだから。  ちゃんとまかせることが大事なの。  どう?  いまのあなたにピッタリじゃない?  あなたが変わるために。 女1 変わる? 女2 そう、一人で背負わない。  上手にパスの出せる人に。  なりたくない? 女1 なれるかしら? 女2 あなた次第よ。  そして、あなたと同じように責任感の塊のような人たちを解放して  あげて。  それがこのお店の使命なの。 女1 でもお客さんなんて来るの?  看板もないお店なんかに。 女2 ないから来るのよ。  あなたと同じようにふつうっぽくないなにかを求めてね。 女1 そうか。  おまかせカフェとは知らずにね。  じゃあおすすめはおまかせブレンド。  お好みのコーヒー豆を独自のブレンドでいかがですか?  なんて、ちゃっかりコーヒーの栽培からおまかせしちゃったりして。 女2 いいわね、何ヶ月も汗水流して飲むコーヒー。  目指すは究極のスローライフカフェね。  じゃあ早速だけど、ちょっと出掛けてくるから留守をお願いね。 女1 え、どこへ? 女2 郵便局に荷物を引き取りに行ってくるわ。  コーヒーの豆袋が三つも局留めになっているんだもの。  迷惑でしょ?  行ってくるわ。  じゃあ。 女1 うん、わかった。  行ってらっしゃい。     女2、去る。     ドアの開閉音。 女1 わかったって、つい言っちゃった。  絶妙のパスね。     女1、コーヒーミルを弄ぶ。 女1 責任感の塊のような人たちを解放か……。  そんなのできるかな、私に。     ドアの開閉音。     客の気配。 女1 え、あ、えーっと……。  せーの。  いらっしゃい!  おまかせカフェにようこそ。     ‐了‐