峠のパン屋再訪問              ソンブレロ     パン屋の店内。     所々にカップなどの陶器が置かれている。          女(女1)が様子をうかがうようにして     現れる。 女1 こんにちは。     静寂。 女1 こんにちは。     もう一人の女(女2)、現れる。 女2 はい。 女1 あ、どうも。 女2 なにか? 女1 えーっと、あの、私一応、お客なんだけど……。 女2 そう、でも今日はお休みなのよ。 女1 「今日も」よね? 女2 ええ、「しばらくお休み」っていう貼り紙見た? 女1 見たわ。  でも昨日の貼り紙には、「しばらく」とは書いていなかったわね。 女2 それでまた来てみたの? 女1 ここのパンが食べたくて峠をいくつも越えて来たのよ。  だから貼り紙が変わっていたのを見て、思い切って声をかけようっ  て思ったの。 女2 それは申し訳なかったわ。  あらためまして、ごめんなさい。 女1 いつまでお休みなの? 女2 さあ、どのくらいかしら……。  今のところ目処が立ってないの。 女1 理由を聞いてもいい?  せめて納得してから帰りたいわ。 女2 理由ね……。  でも納得してもらえるかなぁ……。 女1 え。 女2 そういうの得意じゃないの。  ちょっと待ってね。     女2、考え込む。 女1 どうしたの? 女2 だから待って。  いま考えるから。 女1 考えるってなにを? 女2 休んでいる理由よ。  ちゃんと納得してもらえるようにね。 女1 わざわざ考えることないのよ。  本当の理由だけ教えてくれない? 女2 そうもいかないわ。  二度も無駄足を踏ませちゃったわけでしょ?  なんだかパンを焼く気になれなくて、なんて言ったらがっかりさせ  ちゃうものね。  あ、コーヒーでもどう?  用意しながら考えるから。 女1 パンを焼く気になれない……?  それが本当の理由なの? 女2 駄目よね。  そんなのじゃ。 女1 駄目もなにもそれが本当なら、理由を考える必要なんてないじゃ  ない?  気休めは結構だわ。 女2 結局怒らせちゃったみたいね。 女1 どうしてパンを焼く気にならないの?  あんなにおいしいのに。 女2 パンだけおいしくても駄目なの。  ほら、中庭を見て。  石窯がふたつあるでしょ? 女1 ええ、あれでパンを焼いているのね。 女2 そう、パンは右の石窯でね。 女1 じゃあ左の石窯は? 女2 陶器を焼いているの。 女1 両方ともあなたが? 女2 そう、朝はパンを焼いて、昼は陶器を焼くの。  一人だからどちらも少しずつね。 女1 もしかしてそこにあるコーヒーカップもあなたが? 女2 ええ、そうよ。  パンをのせるお皿も、ここにある陶器はすべてね。  でもこの頃陶器の方が不調なの。 女1 陶器の窯が? 女2 窯は問題ないんだけど、私の方がね。 女1 具合でも悪いの? 女2 ちょっと行き詰っちゃって……。  自分の作りたいもの、自分にしか作れないものを探しているんだ  けど、なにかどれも違うような気がして……。  才能ないのかなぁ。 女1 その悩みが解決するまではパンを焼く気になれないってこと  なのね? 女2 わかってもらえる? 女1 全然わからない。  パン作りってそんなにどうでもいいことだったの? 女2 うぅん、陶器作りと同じくらい大事よ。 女1 でも完全にパン作りが犠牲になっているじゃない?  同じくらい大事とはとても思えないんだけど。 女2 そんなことないわ。  パンが上手く焼けない時は陶器作りの方だってふるわないもの。  両方でバランスをとり合っているのよ。 女1 お言葉を返すようだけど、それじゃあアンバランスってもの  よ。  片方が不調の時こそもう片方ががんばっての両輪だと思うわ。 女2 じゃあ今こそパンを一生懸命焼くべきってこと? 女1 まさにそういうことだと思う。  焼くのよ。  おいしいパンをいっぱいね。 女2 なんだかあなたのためにパンを焼くみたいね。 女1 そうよ、私のために焼くの。 女2 え。 女1 それで足りなければ仲間たちを連れて来てもいいわ。  葡萄畑の若夫婦にオリーブ売りの男の子、それから山小屋の女主  人に養蜂場で研修中の農学部の学生たち。  みんな友達。  私って顔が広いんだから。 女2 へえ……。  ところであなたはなにをしている人? 女1 露店でヨーグルトを売ってるの。  大きな水瓶にヨーグルトを入れてね、計り売りなの。  朝早くから作って、お昼まで売って、午後からは牛乳とか材料の  仕入れ。  明日の準備が終わったら早々に就寝。  そんな毎日。 女2 大変ね。 女1 でも今日はお休み。  そして昨日もね。  私って、気になることがあると仕事に集中出来なくなるの。  つまりあなたがパンを焼かないせいでヨーグルトの生産がストッ  プしているの。  うちのヨーグルトを食べないと一日がはじまらないという人もい  るっていうのに……。 女2 それは責任重大ね。  でも本当にパンを焼いているうちに糸口が見つかったりするかなぁ  ……。 女1 それでも駄目なら諦めればいいじゃない。  もともと才能がなかったってことでね。 女2 ずいぶん簡単に言ってくれるわね。  まああなたにはわからないでしょうね。  作品づくりの苦しみなんてね。 女1 そうよ、私はしがないヨーグルト売りよ。  朝早くからヨーグルトを作って、売って、また作って。  お店もない、田舎道の脇で露店を構えるだけのね。  でもそのヨーグルト一本で生きている人間が、片手間でパンを焼  いている人に負けてるのよ。  悔しいけど。 女2 負けてる……? 女1 だってそうでしょ。  あなたの焼くパンが食べたくて峠をいくつも越えて来ているのよ。  しかも店を二日も休んで。  あなたの創作上の悩みなんて知ったことじゃないわ。  なんならもうひとつの石窯もパンを焼くために使っちゃえばいい  のよ。  その方がたくさん焼けるじゃない。 女2 いくら悔し紛れとはいえ、ハッキリ言ってくれるわね。 女1 まだまだこんなの序の口よ。  才能に対する嫉妬って思いのほか深いんだから。  だって人知れずファンなの。  パンだけじゃなくて陶器もね。 女2 陶器も? 女1 知らなかったわ。  町の器屋で見つけたカップやソーサー、お皿に陶製のスプーン。  あなたの作品だったのね。  みんな持ってるの。  それにヨーグルトを入れるための大きな水瓶。  全てお気に入り。  でももう十分よ。  揃っちゃったから。  あの左側の石窯の役目は終わり。  これからはパンを焼く才能を生かすだけの人生。  再出発おめでとう。 女2 ずいぶん厳しいファンね。 女1 そう、これが私の応援の仕方。  マイナス方向へ背中を押すの。  マイナスをプラスに転じようとするパワーが創作のエネルギーに  なるって教えられたことがあるの。  だから甘やかさないわ。 女2 それはお世話さま。  もしかしてあなたもなにか創作をしているの? 女1 創作って言えるかどうか、人形劇をちょっとね。 女2 人形劇?  へえ、あなたがお話を考えるの? 女1 そう、お話を考えるのも演じるのも私ひとり。  学校や教会で好評を博しているの。  もちろん子供にだけどね。 女2 へえ、観てみたいな。 女1 悪いけどいまは無理。 女2 どうして? 女1 じつは新しいお話を考えてるんだけどね、なんかちょっとふ  るわないって言うか、行き詰っているのよね。  才能ないのかなぁ。 女2 なにそれ、私のこと言えないじゃない。 女1 うぅん、悔しいけど私はただの嫉妬の塊。  パンも陶器もファンだなんて。  同じ人が作ってるってさっき知って、ますます嫉妬の炎が燃え盛っ  ているわ。 女2 ありがとうって言っていいのかしら? 女1 うん、だからあなたも燃やして。  いずれ両方の石窯を。 女2 そうね、ありがとう。 女1 あのね、提案なんだけど、町に出ない?  メリーゴーランド。  映画。  ミートパイ。  サーカス。  アップルワイン。  行き詰った時の気分転換。  どう? 女2 いいわね、賛成。  じゃあその前にコーヒーでもどう?  パンを焼かない理由を一緒に考えてもらってもいい?  もう少し気の利いた理由を。 女1 そうね、「焼く気になれない」なんてほかの人に言っちゃ駄  目よ。  せめてもう少しマシなのを考えてあげる。 女2 じゃあいいのをたくさんよろしくね。 女1 ええ、あ、ねえ、ごめん。  私、コーヒーって苦手なの。  贅沢言って悪いけど、紅茶にしてもらえるかしら? 女2 あ、そう、いいけど。 女1 ちょっと薄めで、ミルクを多めに入れていただけない? 女2 あら、そう言えばミルクがなかったんだわ。 女1 ハーブティーならミルクなしでも飲めるんだけど。 女2 ハーブティーね……。  はいはい、かしこまりました。 女1 ごめんね、お手数掛けちゃって。 女2 どういたしまして。  まずはあなたの世話から焼かせてもらいます。  パンより先にね。 女1 あら、うまいこと言うじゃない。 女2 カモミールにペパーミントにローズヒップ。  甘酸っぱい香りと、深いコクを出せる、良質な茶葉を探し求める  旅に行ってきます。  じゃあ。 女1 え。 女2 しばらくは戻れないけど、どうかご勘弁くださいね。  なんて……。  とりあえずあなたへの休む理由は整ったかしら?  ご納得いただけそう? 女1 ああ……。  はい、そうね、納得しました。  期待してお待ちします。     二人、笑う。     ‐了‐